2018/10/15
イラン中西部、ハマダン州西部、ケルマンシャー州との州境近くにある町で、アサダバード郡の郡都。
人口は5万人ほどで住民の半数以上はイラン人ですが、クルド人、アゼルバイジャン人、ルル人、ラク人も暮らしています。
この小さな町は19世紀後期のイスラム法学者で反体制活動家でもあった、セイエド・ジャマル・ウッディン・アサダバーディ(ジャマル・ウッディン・アフガニとも)の出身地として知られています。
ジャマル・ウッディーンは汎イスラム主義の立場からカジャール朝の専制政治を批判する運動を展開。
1891年にナセル・ウッディン・シャーによりトルコへと追放されました。
セイエド・ジャマル・ウッディン・アサダバーディ(1838/39~1897年)
クルド人が多く居住するクルディスタン州やケルマンシャー州に近く、そのためこの町で産出される絨毯にはコリアイ族やカカベル族が製作するクルド絨毯の影響が見られます。
メダリオンのない六角形のフィールド上にはヘラティや幾何学的な花文様が配されるのが一般的。
赤を基調としており、サイズはドザールがほとんどです。
パイルは長めで織りは粗く、お世辞にも高品質とはいえませんが、丈夫で安価なため実用に向いています。
シングル・ウェフトの構造で、ノットはトルコ結びです。