ペルシャ絨毯の基礎知識

ペルシャ絨毯とは

ペルシャ絨毯とは

ペルシャ絨毯とは「イランで手織された絨毯」をいいます。
ペルシャはイランの旧称で、手織は人の手によって織りあげられたもの、絨毯は縦糸、横糸、パイルから構成される敷物のことです。
したがって、手織であってもイラン以外の国で製作されたものはペルシャ絨毯ではありませんし、イランで製作されてはいても機械で織られたものはペルシャ絨毯とは呼びません。
イランではパイルのないキリムやジャジム、ソマックといった綴織の敷物も手織で製作されていますが、当然これらもペルシャ絨毯には該当しない訳です。

最近、イランで製作されたレーヨン製の機械織絨毯にシルクのフリンジとエッジだけを人の手によって縫い付けたものがペルシャ絨毯として大量に出回っています(画像参照)。
これらは「手織」あるいは「半手織」として販売されていることがありますが、もちろんペルシャ絨毯ではないので注意が必要です。
かつて機械織絨毯には8色までしか使用できませんでした。
しかし、技術の進歩により何十色もの色を用い、有名工房の作品を寸分違わずコピーしたものも流通しています。
写真だけでは判別出来ないほど上手くコピーされてはいても、化学繊維の機械織絨毯にペルシャ絨毯としての価値などまったくありません。

なお、レーヨンは「バンブー(竹)シルク」「ユーカリ・シルク」「人造(人工)シルク」などと呼ばれてはいますが、シルク(絹)とは関係なく植物に含まれる繊維質を抽出し、化学薬品で溶解してから再生した化学繊維です。
天然繊維ではありません。

ペルシャ絨毯が高い評価を得ているのは敷物という実用品であるとともに、長い月日をかけて手織された伝統手工芸品であるからです。
手織の技術は世代から世代へと受け継がれており、ペルシャ絨毯の中には数何百年前に製作されたものが現存しています。
イラン国内には多くのペルシャ絨毯の産地があり、産地特有の特徴があります。
町や村、部族の人々が長きに渡って受け継いできた伝統や技術、スタイルというものが存在するのです。

そうしたことから、ペルシャ絨毯は単に敷物として使用されるだけでなくコレクションの対象とされることもあり、とりわけ欧米にはペルシャ絨毯のコレクターが大勢います。
サファヴィー朝期のペルシャ絨毯の中には、海外の有名なオークションで何億円から何十億円もの値を付けるものさえ存在するのです。

イランは洋の東西を結ぶ中東最大の国の一つです。
その昔、イランはシルクロードによって東アジアとヨーロッパに繋がっていました。
東西文化の架け橋であるイランで製作されたペルシャ絨毯は、ヨーロッパの施設や一般家庭にも多く敷かれています。
2010年、ファースとカシャーンの「絨毯織りの伝統工芸」がユネスコの人類無形文化遺産リストに追加されました。
原油はイランにとって最も重要な輸出品ですが、多くのイラン人が依然として絨毯産業に従事しています。

しかし、若い世代の人たちは地味で根気のいる作業を避けるようになっているため、割合は減少しているのが現実です。
世界の手織絨毯の輸出におけるイランのシェアは、2011年から2022年の間に25.5%から7.4%にまで減少しました。

ペルシャ絨毯とオリエント絨毯の違い

ペルシャ絨毯とオリエント絨毯の違い

多くの人がペルシャ絨毯とオリエント絨毯(またはオリエンタルラグ)という用語を同じ意味で使用していますが、これは誤りです。
オリエント絨毯は、アジアで作られた手織りの絨毯全体を指す言葉です。
これらの絨毯は中国、インド、コーカサス、トルコ、アフガニスタン、パキスタン、チベットなどイラン以外の国々でも製作されています。
ペルシャ絨毯はオリエント絨毯のカテゴリーに含まれますが、その品質、オリジナリティ、歴史的背景、人気の高さから、他の国々の絨毯より傑出したものとして扱われるのが一般的です。

中国が世界の工場として台頭してからは、すぐにオリエント絨毯の一大生産国になりました。
中国には何世紀にもわたる絨毯織りの歴史がありますが、中国絨毯が外の世界に広まったたのは近年のことです。
人海戦術により製造プロセスが短縮化され、より速く、より安価な生産が可能になり、中国製のオリエンタルラグが世界中に輸出されてゆきました。
それらの中にはペルシャ絨毯を精巧にコピーしたものがたくさんあり、わが国でも「イースト・ペルシャ」などの名称を与えられてペルシャ絨毯の半額ほどで販売されていました(画像参照)。
いまでもネットオークションなどには、これらの中国絨毯がペルシャ絨毯として出品されているのをよく見かけます。

しかし、中国の経済成長に伴い手織絨毯の生産量は減少傾向にあります。
2022年の統計によると、手織絨毯の輸出量はインドが第1位で、中国が第2位、イランは第6位です。

ペルシャ絨毯の特徴

ペルシャ絨毯の特徴

ペルシャ絨毯には、その独特なデザインや美しさ、高品質な素材、手織の職人技など、多くの特徴があります。
絨毯を通じて緻密なデザインや豊かな色彩、職人の技やイランの歴史・文化を感じることができ、部屋のインテリアを飾るだけでなく、心を豊かにすることができます。
そうしたペルシャ絨毯の特徴を記してみます。

1. 繊細で複雑なデザイン
ペルシャ絨毯はバランスのとれたデザインや、繊細で複雑な文様が特徴です。
花や植物、動物、幾何学模様など、さまざまなモチーフが組み合わせられて独特の美しさを生み出しています。
手織ならではの緻密な細工が施されており、豪華な見た目が魅力的です。

2. 豊富な色使い
ペルシャ絨毯は、鮮やかな色が特徴であり、様々な色が上手く組み合わせられています。
天然染料から得た色や地域の文化に基づいた伝統的な色使いが見られ、絨毯を通じて色彩豊かな世界を楽しむことができます。

3. 高品質な素材
ペルシャ絨毯には高品質な天然素材を用いて製作されており、パイルにはウールやシルクが使用されます。
これらの素材は耐久性が高く肌触りもよいため、絨毯の品質を保ちながら快適に使用することができます。

4. 手織の職人技
ペルシャ絨毯は、古くから続く伝統的な手織の技術により製作されています。
熟練した職人が手作業で織りあげることで、独特の美しさや丈夫さが生まれます。
手織ならではの緻密な細工や高度な技術が、ペルシャ絨毯の価値を高めているのです。

5. 文化と歴史の象徴
ペルシャ絨毯は、イランの文化や歴史を象徴する伝統手工芸品として位置づけられています。
ペルシャ絨毯には、地域の伝統や民俗、信仰などが反映されており、イラン文化の一端を垣間見ることができます。

ペルシャ絨毯の価値

ペルシャ絨毯の価値

ペルシャ絨毯の価値を評価する際に明確な基準はありません。
ペルシャ絨毯は手織であるため、たとえ同じ規格を用いて製作されたとしても、異なる織手によって製作された2枚の絨毯には、ある程度の差異が生じます。
ペルシャ絨毯の価値の評価するのは他の工芸品や美術品などと同様に、とても複雑な作業です。
個々のペルシャ絨毯にはデザインや色、織りの密度や仕上がり等に必ずや違いがあるからです。
ペルシャ絨毯の価値を判断し、各作品に価格を付ける際には、考慮すべき要素がいくつかあります。
ペルシャ絨毯の価値に影響を与える主な要素を以下に記します。
ただし、これらの要素は一部であり、ペルシャ絨毯の価値は需要と供給のバランス、経済状況、市場の動向、その他の諸要因により変化する可能性があります。

1. 素材
ペルシャ絨毯に使用されるウール、シルク、木綿などの素材は、すべて価値に影響します。
一般に素材の品質が高ければ高いほど、価格も高くなり、素材がどこの産かによっても影響を受けることがあります。
人件費と同様に、材料費も年々上昇しています。
よって、新しいペルシャ絨毯ほど、材料費が高くなっている可能性があります。

2. デザイン
ペルシャ絨毯は敷物であるとともに伝統工芸品でもあります。
そのため、鑑賞されるものとしての美的要素が価値に影響します。
統一感のある複雑なデザインで配色がそれに調和していることが望ましく、それが満たされているペルシャ絨毯は価格も高くなる傾向があります。

3. オリジナリティ
デザインや色が珍しいペルシャ絨毯は希少であるがゆえ、価値が高くなります。
人は誰もが持っていないものを欲しがるからです。
コレクターともなれば尚更であることは言うまでもないでしょう。

4. ノット数
一般にノット数が多いほどペルシャ絨毯の価値は高くなります。
ノット数というのは絨毯全体の結び目の数ではなく、一定の面積の中にある結び目の数、つまり織りの密度のことです。
ノット数が多ければ、完成までに要する日数も増えますし、より複雑なディテールを明確に表現することも可能になります。
ただし、ノット数に関しては都市部の絨毯でのみ使用される要素であり、農村部や部族の絨毯では考慮されないことを知っておく必要があります。
農村部や部族の絨毯は、高度な織機や道具を利用できないため、ノット密度が低くなるのが当たり前だからです。

5. 文化と歴史の象徴
ペルシャ絨毯は、イランの文化や歴史を象徴する重要な工芸品として位置づけられています。
ペルシャ絨毯には、地域の伝統や民俗、信仰などが反映されており、イラン文化の一端を垣間見ることができます。

6. 人件費
ペルシャ絨毯を生産するために使用される労働力は重要な費用です。
素材やデザインに関わるコストをも含めた人件費は年々上昇しており、その結果、ペルシャ絨毯の価格が上昇しています。
敷物が最初から最後まで手作りされる場合、織り手はその技術と芸術性に対して報酬を得る必要があります。
すべての結び目は手作業で結ばれており、絨毯の完成時には、織師が数え切れないほどの時間を費やしたことを意味します。
そのためペルシャ絨毯を購入する際、ノット数は価格に大きな影響を与える可能性があるため、これらのコストを考慮することが重要です。

7. 織りの技術
ペルシャ絨毯を作る際の織りの技術も、絨毯の価値に影響を与えます。
経験豊富な熟練織師ほど、より高品質なペルシャ絨毯を製作できます。
有名工房の下で作業している場合は更に高い品質が期待できるため、絨毯の価格も上がります。
ノットが均一で一貫しているほど、作品の完成度が高くなるからです。
これは、とりわけ織師が大きな絨毯の製作する際に顕著となります。
複数の織師が並んで作業を進めるため、均一な織りを実現するためにそれらを同期させる必要があります。

8. 産地の信頼性
ペルシャ絨毯の産地も価格に影響します。
タブリーズ、クム、カシャーン、ナイン、イスファハンなどは高品質な絨毯を産出する町として世界的に有名です。
これらの町で製作されたペルシャ絨毯は人気があるため、他の産地の絨毯より高価になる傾向があります。

9. 仕上がり
絨毯の仕上がりも価値に影響します。
歪みがなく、バランスよく仕上がったペルシャ絨毯の価格は高くなるのが一般的です。
もちろん手織である以上、多少の誤差は生じますが、正確に仕上がっているものほど価格は高くなります。
これはデザインの対称性にも当てはまり、例えばメダリオンの上下左右が完全に対象である場合、価格は高くなることがあります。

10. ブランド
ペルシャ絨毯の中には、作家やブランドの知名度により、価値が高くなるものがあります。
デザインの美しさと品質の高さで知られる一流のブランドは、ペルシャの価値に大きな影響を与えます。
セーラフィアンやアラバフなど、世界的に有名な工房で製作されたペルシャ絨毯は、より高価になります。
これは、エルメスやルイ・ヴィトンなどのファッション・ブランドの認知度や品質に対する信頼と同じことです。

11. 製作年代
一般にペルシャ絨毯は古ければ古いほど価値が高くなります。
ただし、パイルの損傷や修理痕などがなく、良好な状態を保っていることが条件です。
アンティークやオールドのペルシャ絨毯の場合、その希少性が大きな要素となることがあります。
たとえば、作品が既に存在しない工房で作られたものである場合、製造されなくなったものを見つけるのは困難になるため、その価値は更に高まるのが一般的です。

ペルシャ絨毯の歴史

ペルシャ絨毯の歴史

絨毯はテントに暮らす遊牧民が地面の上に敷くために考案したものと考えられています。
しかし、それがどこの地域で製作され始めたのか、どの部族が使い始めたのかはまったく分かっていません。
天然繊維ゆえの脆化性により現物が残っておらず、その起源についてはいまだに不明瞭なままです。
一般的には絨毯は、ウールを踏み固めたフェルトや平織と呼ばれる方法から進化したと考えられています。

古代ギリシャの文献には絨毯の使用について言及されており、紀元前850年頃のホメロスの著作、アレクサンドリアで発明された絨毯について言及している大プリニウスの著作、そして『オデュッセイア』にも絨毯について言及されています。
しかし、これらの初期の文献には、これらの絨毯が平織かパイル織かという技術的な詳細は記載されていません。

紀元前400年頃、ペルシャ絨毯はギリシャの作家クセノポンの著書「アナバシス」によって歴史の記録に初めて登場しました。
この作品で、クセノポンはペルシャ絨毯を豪華さと外交上の重要性という文脈で言及しています。
彼の記述は、外交上の贈答品としてのペルシャ絨毯の価値を強調しています。
とはいえ、このペルシャ絨毯なるものが本当にパイル織であったかどうかは謎のままです。
もしかしたら平織や刺繍などの手法で作られたものだったかもしれません。
しかし、文学におけるペルシャ絨毯に関する最も古い記述が、富や権力などと結び付けられているのは大変に興味深いことです。

絨毯織りの技術が紀元前3世紀にはすでに確立されていたのは紛れもない事実です。
それは1949年に南シベリアのアルタイ山中で、ソ連の考古学者であったルデンコによって発見された絨毯(画像参照)によって証明されています。
その絨毯はパジリク渓谷にあるスキタイ首長の墳墓から出土し、凍結状態にあったことでほぼ原形をとどめていました。
これは奇跡ともいうべきことです。

高度な技術で織られたそれは炭素年代測定の結果、紀元前260〜250年に製作されたものであることが明らかになり、発掘地にあやかりパジリク絨毯と呼ばれるようになりました。
パジリク絨毯はそのデザインからアケメネス朝ペルシャで製作されたものとされていましたが、最近では中央アジアで製作されたとする説が有力になっています。
1954年にはパジリク渓谷近くのバシャダル渓谷で、更に150年ほど古い絨毯の断片が見つかっています。

パジリク絨毯の発見に加えて、古代の歴史家の著作には絨毯に関する記述が見られます。
それによると、紀元前 331 年にアレクサンダー大王がイランを征服した後、パサルガダエに行ったとき、キュロス2世の棺が見事な絨毯で覆われているのを目にしたとのことです。
またペルセポリスで消失した絨毯について、イラン人はこのペルセポリスの町に国中の宝物を集めていたことが記されており、王宮に敷かれた豪華な絨毯などの損失は計り知れないものであったようです。

紀元後も僅かではあるものの、イランにおける絨毯織りの痕跡が認められます。
中国の楼蘭(ローラン)で出土した絨毯の断片は、2世紀から3世紀に遡ります。
調査により、それらに使用されているウールは、当時ササン朝ペルシャの一部であったコーカサス地方で産出したものであることが判明しました。
また、1967年にササン朝期のペルシャ絨毯の断片がイラン北東部のダムガン近くのコムスで出土しています。

更にササン朝の歴史では「ホスローの春」(バハレスタン)と呼ばれる絨毯について言及されており、アラブの歴史家タバリーの著書によると、そのボーダーは色とりどりの宝石で飾られていたとのことです。
この絨毯はササン朝の都であったクテシフォンの宮殿に敷かれていました。
ホスローの春は、アラブ・イスラム軍とのカーディシーヤの戦いののちクテシフォンが陥落すると、アラブ人によって切り刻まれて持ち去られたといわれています。

ササン朝の滅亡後、イランはアラブ人の支配下に入り、イスラム化されます。
しかし、イランの絨毯織りは衰退を引き起こさなかったようで、ウマイヤ朝とアッバス朝のカリフの統治下においても延々と続けられました。
偶像崇拝を禁じるイスラム教の影響により、絨毯のデザインは幾何学模様や花柄へと変化してゆきました。
2023年4月、イスファハン近くの古墳から絨毯の断片が出土しました。
この絨毯は炭素年代測定によりアッバス朝期に製作されたものであることが判明しています。

アラブのカリフによる統治の後、セルジュクというトルコの部族がイランを征服しました。
セルジュク朝の統治 (1038 ~ 1194 年) は、ペルシャ絨毯の歴史において重要です。
セルジュク朝の女性たちは、トルコ結びで絨毯を織る技術を持っていました。
トルコ結びは、長い間セルジューク朝の影響下にあったアゼルバイジャンとハマダン地方で使用されるようになりました。

モンゴル人がイランに侵攻し、最初の残忍な攻撃でしたが、暫くするとイラン人の影響下に置かれるようになりました。
イルハン朝の指導者ガザン・ハン(1295~1304)が首都としたたタブリーズの町は、高価な絨毯で覆われていたといいます。
モンゴル人の攻撃によって破壊されたものを再建するために、土地と国のすべての芸術家や職人を奨励し、奨励したティムール帝国の統治者シャールフ(1409年〜1446年)。
この時代のペルシャ絨毯は単純な幾何学模様であったようです。

イランにおける絨毯産業はサファヴィー朝期に入り黄金期を迎えます。
サファヴィー朝の王時代、特にタブリーズを首都に定めたイスマイル1世、ガズヴィンに遷都したタフマスブ1世、そしてイスファハンでサファヴィー朝の最盛期を築いたアッバス1世が絨毯織りを奨励しました。

アッバス1世は新たな首都としてイスファハンを選び、多くの大規模な絨毯工房を設立しました。
サファヴィー朝時代の繊細で美しい絨毯、特にシルク絨毯(画像参照)はヨーロッパ諸国への贈り物となりました。
イタリア人旅行家のデラヴァレーやフランス人旅行家のジャン・シャルダンなどの多くの有名人が、アッバス1世の治世下にイランの絨毯織り工房を訪れ、ペルシャ絨毯の美しさに魅了されています。

しかし、ペルシャ絨毯の黄金期は1722年のアフガン人の侵攻により終焉を迎えます。
イスファハンの町は破壊され、パトロンを失った絨毯工房はすべて閉鎖されてしまいました。
アフガン人の支配は長くは続かず、ホラサンから現れたナーディル・ハーンによりアフシャル朝が興されました。
アフシャル朝期には度重なる対外戦争により、都市部の絨毯産業が復興することはなく、遊牧民と農村部の織手だけが絨毯を織り続けました。

1785年にアガ・モハマド・ハーンが実権を握ると、カジャール朝の時代が始まり、その時代は1925年までほぼ1世紀にわたって続きます。
19世紀の最後の四半期、ペルシャ絨毯が国際的に受け入れられ、その購入需要が高まっていたため、絨毯織産業が復興しました。
ペルシャ絨毯研究家であったセシル・エドワーズは1875年を「ペルシャ絨毯復活の年」としています。

この時期、国内の投資家や実業家に加え、ヨーロッパやアメリカの企業がイランに進出しました。
外国企業はその商業的かつ搾取的な方法により、低品質な化学染料を使用した安価な絨毯が生産され、世界市場におけるペルシャ絨毯の評価を著しく損なわせました(画像参照)。
カジャール朝期のイランの経済状況はあまり好ましいものではなかったため、未成年から妊婦まで何千人もの織り手たちが、生計を立てるため外国企業に雇用されてゆきました。

カジャール朝の後、レザー・ハーン・サルダル・セペは1925年にパフラヴィー朝の初代シャー(国王)となりました。
テヘランで戴冠し、1941年まで統治します。
その後は、息子であるモハマド・レザー・パフラヴィーが、イラン・イスラム革命が勃発する1979年までシャーの座にありました。
パフラヴィ朝期には、農村部や都市部の家庭でペルシャ絨毯の生産が続けられます。
パフラヴィー時代の最も重要な出来事の一つはイラン絨毯会社の設立でした。
この結果、ペルシャ絨毯の輸出は政府の管理下に置かれるようになりました。
この期間中、ペルシャ絨毯のデザインやスタイルはあまり変わりませんでしたが、世界中へのカーペットの輸出は激増しました。
1978年のイラン国立絨毯博物館の設立は、その期間中に行われた施策の一つです。

1979年にイラン革命が勃発しイランイスラム共和国が誕生しました。
イランは現在、世界有数の手織絨毯輸出国の一つです。
ペルシャ絨毯は32カ国以上に輸出されており、石油以外の収入の大部分を占めています。
ペルシャ絨毯の主な輸出国は、ドイツ、UAE、アメリカ、イタリア、レバノンなどです。
2019年の絨毯の輸出による収入は7300万ドル以上でした。
それにもかかわらず、2017年に米国が課した制裁やインドやパキスタンなどの新たな競合国の出現により、ペルシャ絨毯の輸出量は減少しています。
そうした中、若い世代の絨毯作家たちにより伝統にとらわれない新しいデザインのペルシャ絨毯も製作されるようになりました(画像参照)。

※ペルシャ絨毯の歴史について、より詳しく知りたい方は【ペルシャ絨毯の歴史詳細】をご覧ください。

ペルシャ絨毯の長所と短所

ペルシャ絨毯の長所と短所

ペルシャ絨毯の長所と短所を知ることは、購入する前に必要不可欠なことです。
ただし、ペルシャ絨毯の長所ばかりに目をやったり、逆に短所ばかりを気にしてしまうと、冷静な判断ができなくなってしまいます。
ペルシャ絨毯の長所と短所を正解に把握し、後悔のない買物をしなければなりません。
ペルシャ絨毯には様々な種類があり、種類によって長所と短所も違ってきます。
それらを知っておけば誤りのない商品選択が可能となり、後悔のない買物ができるはずです。
絨毯商は都合のよいことしか言いません。
彼らのの言うことを鵜呑みにせず、自身で正しい判断ができるようにしてください。

ペルシャ絨毯の長所

ペルシャ絨毯は、高い品質と美しさ、長寿命を持つことから、多くの人々に愛されています。
購入を検討する際には、素材やデザインだけでなく、製造工程や歴史なども考慮して、自分に最適な絨毯を選ぶことが重要です。
ペルシャ絨毯の長所と短所を知って生活状況やニーズに応じて自分にとって最適な選択肢を選択することができる非常に重要な問題です。

1. 天然素材
ペルシャ絨毯は高品質な羊毛やシルクなどの天然素材を使用しており、手織の技術と素材の組み合わせによって絨毯の質感が向上し、肌触りがよいだけでなく、長期間にわたり美しい風合いを保つことができます。
また、機械織絨毯にはレーヨン、ポリプロピレンなどの合成繊維が使用されることがあり、これらは呼吸障害などの様々な過敏症を引き起こす可能性があります。
ペルシャ絨毯に使用されている素材はすべて天然繊維なので、過敏症などの心配がほとんどありません。

2. 繊細なデザインと美しい色彩
ペルシャ絨毯は熟練した職人によって手作業で織られており、緻密で繊細なデザインや複雑な模様が特徴です。
また、ペルシャ絨毯の中には天然染料を用いて染色されたものが数多くあります。
その色は時を経るにつれ味わい深さを増してゆきます。
手織ならではの独特な美しさや緻密な細工は、ペルシャ絨毯の価値を高める要素となっています。

3. 耐久性と長寿命
ペルシャ絨毯は、熟練した職人によって丁寧に手織されています。
また高品質な素材が使用されているため、耐久性が高く長寿命を持っています。
適切な手入れを行い、適切な環境で保管すれば、ペルシャ絨毯は長い期間にわたって使い続けることができます。

4. 豊富な種類
ペルシャ絨毯には、様々な産地の伝統に基づいた特徴があり、豊富な種類から選ぶことができます。
都市部の絨毯、農村部の絨毯、部族の絨毯と、異なるスタイルがあり、それはそれぞれの産地により更に細分化されます。
独自の文化や歴史を反映した絨毯は、部屋の雰囲気を豊かにし、個性を表現するのに役立ちます。

5. 投資価値
すべてのペルシャ絨毯に当てはまる訳ではありませんが、ペルシャ絨毯の中には投資価値が見込めるものが存在します。
優れた状態を保ち、適切な管理を行えば、絨毯の価値が時間と共に上昇することがあります。

ペルシャ絨毯の短所

どんなものにも長所があれば短所もあります。
ペルシャ絨毯の短所を説明する絨毯商は皆無に等しいと思われますが、実際にはいくつかの短所があります。
それらについても説明しておかなければフェアではないでしょう。
以下にペルシャ絨毯の短所についても説明しておきますが、これらの短所はすべてのペルシャ絨毯に当てはまるものではありません。

1. 高価格
ペルシャ絨毯は職人の手作業によって長い月日をかけて製作されます。
また、素材には高品質なウールやシルク、木綿が使用されるため、比較的高価格で販売されています。
そのため、予算が限られている人には手が出しにくい場合があります。

2. 移動が難しいものがある
ペルシャ絨毯の中にはビジャー産やモダン・ギャッベのように、他の産地の絨毯に比べてかなり重いものがあります。
小さなサイズであればそれほどではありませんが、大きなサイズともなれば、かなりの重量となり、一人での移動は困難となります。
そのため家具の配置を変える際や掃除をするときなどに手間がかかる場合があります。

3. メンテナンスが難しいものがある
ペルシャ絨毯に使用される素材の中でもシルクはデリケートな素材であり、汚れやシミの処理が難しいことがあります。
特に、染料が滲んでしまった場合などは完全に取り除くのが難しいことがあります。
また、シルクは湿気によりパウダリングすることがあります。
パウダリングとは繊維が酸化して組織が崩れ、粉末状になってしまう現象です。
パウダリングしたシルク絨毯を元の状態に戻すことはできません。

4. 染料の退色
ペルシャ絨毯の染料は自然素材から作られることが多く、日光や洗濯などの要因により、染料が退色してしまうことがあります。
これは染物である以上、避けられないことですが、直射日光の当たらない場所に敷く、レースのカーテンを使用する、クリーニングは専門の業者に依頼するなどの対策をとることで退色を軽減することができます。

5. ウールの臭い
絨毯店に入ったことがある方ならお分かりでしょうが、ウール絨毯にはウール特有の臭いがあります。 単品では気になるほどのものではありませんが、大量の在庫を抱える店舗では塵も積もれば山となるで、臭いが溜まってしまうのです。
一般家庭でそれほど大量のペルシャ絨毯を溜め込むことはありませんから、通常は臭いが気になることはないでしょう。
しかし、稀に湿気が多くなる梅雨の時期などになると、臭いが気になってしまうことがあります。
これは絨毯に使用されているウール(羊)の種類によるものと考えられ、一般に都市部の絨毯よりも農村部や部族の絨毯にその傾向が見られます。
ウールそのものの臭いであるため、クリーニングをしても完全に消すことはできません。
ただし、その臭いが好きという人がいるのも事実です。

ペルシャ絨毯の分類

ペルシャ絨毯の分類

ペルシャ絨毯の分類の方法は様々ですが、一般には素材、スタイル、産地、パターン、年代などによって分類されます。
これらの分類方法を組み合わせて、より詳細に分類することも可能です。
こうした数々の分類方法が存在していることは、ペルシャ絨毯の多様性を如実に物語っていると言えるでしょう。

素材による分類

ペルシャ絨毯はウール絨毯とシルク絨毯とに大別されます。
わが国ではシルク絨毯の人気も高いのですが、世界的に見ればウール絨毯の方が圧倒的に人気があります。
ただし、これは優劣を示すものではなく、素材の特性や、使用する環境、生活習慣の違いから来るものであると考えてよいでしょう。
ここではウール絨毯とシルク絨毯のほかに、金属糸を使用したものもある「スフ」と呼ばれる浮織の絨毯に絨毯についても解説します。

ウール絨毯

イラン高原においてウール絨毯がいつ製作され始めたのかは明らかにされていませんが、おそらく3000年以上前にまで遡ると考えられています。
いわばウール絨毯の歴史はペルシャ絨毯の歴史でもあるといってよいでしょう。
現在もペルシャ絨毯の全生産量のうち96%をウール絨毯が占めています。
ウール絨毯は、その高品質な素材と特性から、美しさと実用性を兼ね備えた魅力的なインテリアアイテムとして世界中で人気を集めています。

ウール絨毯の特徴はその保温性と耐久性にあります。
ウールは内部の熱をより多く保持し、寒い季節に最適なカーペットです。また、この機能は熱では逆に働きます。
繊維が弾力性があり丈夫なため、ペルシャ絨毯に適した素材です。ウールのペルシャ絨毯は耐久性が高く、長期間使用することができます。
またウールは自然な油分を含んでおり、汚れが付きにくい特性があるため、ウール絨毯は汚れに強く、手入れが比較的容易です。
身体に優れた治癒特性もあり、座ったり休んだりすると、体の血液循環が良くなります。神経をリラックスさせ、体の汗を吸収し、眠りやすくし、筋肉痛を和らげるなどの利点もあります。
ウール絨毯はバリエーションの多さも魅力です。
ウール絨毯にはパイルの一部にシルクを使用するパート・シルクの技法が用いられたものもあります。

シルク絨毯

ウール絨毯に比べるとシルク絨毯の歴史はかなり浅く、17世紀になってから製作され始めたいわれます。
サファヴィ朝期に製作されたシルク絨毯としては、アッバス2世廟に敷かれた動物闘争文様のものです。
特有の光沢による美しさがシルク絨毯の一番の魅力です。
シルク絨毯の輝きは素晴らしく、見る角度を変えるだけで色が変わって見えます。
パイルが短く、薄くて柔らかく軽いため、移動が楽なことも大きな利点です。

絹糸は蚕の繭から採取されるため、自然な仕上がりがあります。
ウール絨毯に比べてノット数が多いのは、絹糸が細いためです。
シルク絨毯の価格が高い理由の一つは高いノット数です。
シルク絨毯が高価なのは素材が高価であるということ以上に、ノット数の多さが影響しています。
絹糸が織りなす色合いと釉薬がとても美しく目を惹きます。
ただし、シルクはデリケートな素材であるため、取り扱いが難しいのが最大の欠点です。
シルクという素材は引っ張る力に対しては強いのですが、摩擦には弱いので往来が多い場所にシルク絨毯を敷くのはお勧めしません。
また汚れに対しても弱く、液体をこぼした場合はその箇所が硬化し、色が変わって見えることがあります。
シルク絨毯はクムならびにクム絨毯のコピー品を製作しているザンジャン、マラゲのほか、カシャーンやグーチャンでも製作されています。

スフ

スフとは綴織とパイル織を組み合わせた浮織(うきおり)の絨毯のことです。
文様の部分だけがパイル織になっているため、そこだけが浮き出ますが、綴織の横糸には金糸や銀糸といった金属糸が使用されることがあります。
スフの絨毯としては17世紀に製作されたポロネーズ絨毯が有名です。
しかし、イスファハンやカシャーンで製作されていたそれは、サファヴィ朝の消滅により技術が途絶えてしまいました。

イランで絨毯産業が復興した19世紀末にカシャーンで再び製作されるようになり、その後イスファハンでも製作されるようになりました。
サファヴィ朝の時代をも含めるとカシャーンとイスファハンにはスフ織の伝統がありますが、この2つの産地では現在は製作されておらず、むしろ部族の絨毯に見ることができます。
金属糸を使用したものは傷みやすく、実用には向きません。

スタイルによる分類

イラン人の祖先たちは、もとは遊牧民でした。
やがて遊牧生活を捨てて定住する人たちが現れ始め、彼らは村落を形成するとともに農業を営むようになります。
交通の要所に市場が興り、やがて都市へと発展してゆきました。
テント内に敷くための実用品として製作されていた絨毯も、この過程とともに暮らしを彩るための装飾的要素が追加されてゆき、やがて部族の絨毯(トライバルラグ)から農村部の絨毯(ビレッジラグ)へ、更には宮廷や上流階級のための都市部の絨毯(シティラグ)へと進化を遂げていったのです。
イランでは遊牧生活、農村生活、都市生活の 3 つの生活形態が数千年を経た現在においても依然として存在しています。
したがってイランでは、様々な町や村、あるいは遊牧民の宿営地で3つのタイプの絨毯がいまも製作されているのです。

都市部の絨毯(シティラグ)

都市部の絨毯はかつての宮廷絨毯の流れを受け継いでいます。
イランで諸王国が権力を握っていた頃から、宮廷やその親族の需要を満たす都市絨毯織りも盛んになりました。
初期の都市部の手織り絨毯の最も重要な特徴は、最も熟練した織り手によって、一行ずつ厳しい監督のもとに織られていました。
そのデザインは著名な細密画家によって行われ、イデオロギー的な内容が含まれていました。
つまり、そのモチーフの背後には支配権力や宗教に役立つ意味や概念があったのです。
シティラグのデザインは曲線的で、農村部や部族の絨毯よりも多様性があり洗練されています。
織師はデザイナーが作成した意匠図に基づき、流れるような文様を織り出します。
都市部の絨毯のパイルにはコルク・ウールやシルクなど、高級な素材が使用されることがあります。
このタイプの絨毯のもう一つの特徴は縦横糸に細い木綿や絹を用い、緻密な織りで製作されることです。
パイルは短く刈られ、これにより曲線が美しく描かれ文様の輪郭がはっきりします。
織りが緻密であるということは耐久性があるいうことでもあります。

農村部の絨毯(ビレッジラグ)

農村での生活は、男性が家の外で農業や畜産業に従事し、女性が家事や内職に従事しています。
農村部の絨毯は村の女性たちによって織られたものです。
これらの絨毯は部族の絨毯よりもはるかに多く、カラフルでデザインのパターンも多様ですが、素朴な美しさは部族の絨毯に近いものです。
農村部における生活は都市部と部族の生活の中間に位置しており、そのため絨毯にも両方の特徴があります。
一般に、組成物は木綿の縦横糸の上にウールのパイルで、多くの場合、地元のカーペット商人は必要な設備や材料を織り業者に提供し、顧客はカーペット織りのプロセスを時々チェックして、すべてが順調に進んでいることを確認します。
農村部の絨毯のデザインは部族の絨毯のデザインと都市部の絨毯のデザインを組み合わせたものであるといえます。
通常は意匠図に添って製作されますが、農村部の絨毯にはパターンや文様だけでなく、色使いや結び目の種類に、その村ならではの特徴があります。
そのため絨毯を見れば、それが製作された村を特定することができます。
絨毯織りは農業や畜産業とともに、村民にとって現金収入を得るの方法の一つになっています。

部族の絨毯(トライバルラグ)

部族の絨毯は、かつて夏の宿営地と冬の宿営地を行き来する遊牧民によって織られていました。
その多くが定住民となった今日においても、その伝統は守られています。
部族の絨毯のスタイルは都市部や農村部のそれとはまったく異なるものです。
部族民の経済基盤は畜産業に基づいているため、その副産物としての絨毯の製作に要するコストは最小限に抑えることができました。
部族民の女性たちは水平型の織機を用い、ウールをパイルだけでなく縦糸と横糸にも使います。
部族の絨毯は様々なサイズで織られますが、それらは床を覆うためだけではなく、テントの壁に掛けたり、その上に置いたりする大小の袋やホルジン(鞍袋)なども製作されたのです。
部族の絨毯ではデザインは織手の頭の中で即興で行われてきました。
そのため部族の絨毯には非対称のデザインが多く見られます。
かつて部族の絨毯には天然染料が使用されていたため色数は限られていましたが、現在では化学染料が普及し、色数の多い絨毯を製作することが可能になっています。

※部族の絨毯の詳細については【トライバルラグの基礎知識】をご覧ください。

産地による分類

ペルシャ絨毯の産地はイラン全土に点在しています。
その数は主な産地だけでも100箇所以上、細かく分けると数百箇所にも及ぶと言われるほどです。
ペルシャ絨毯には産地ごとによる特徴があり、それがペルシャ絨毯に多様性を与え、より魅力的なものとしているのは疑いないでしょう。
ここでは大まかな分類としてイラン北西部、中央部、南西部、中南部、北東部、中西部を紹介しますが、地域内の町や村で生産されるすべてのペルシャ絨毯に共通点があるとは言い切れません。
それは複雑なイランの歴史や民族構成に関係しており、まさにモザイク的な様相を呈しているからです。
ペルシャ絨毯の産地を知ることは、イランの歴史や民族構成を知ることにも繋がる実に意義あることなのです。

※ペルシャ絨毯の産地について、より詳しく知りたい方は【ペルシャ絨毯の産地】をご覧ください。

イラン北西部

イラン北西部のアゼルバイジャン地方はイランにおける絨毯産業の一大拠点であり、タブリーズをはじめ、マランド、ホイ、マラゲ、ヘリズ、アハル、サラブ、ザンジャン、メシキンシャハル、アルデビルなど多くのペルシャ絨毯産地があります。
アゼルバイジャン地方がイランとオスマン・トルコの影響を受けて、主要な絨毯織りの中心地の一つとして名を知られるようになったのは、サファヴィー朝期のことでした。
アゼルバイジャン地方のペルシャ絨毯産地といえば、タブリーズとヘリズ(画像参照)の名をよく耳にするでしょう。
タブリーズ絨毯はパターンと色数の多さで知られており、オーソドックスなものから奇を衒ったものまで、様々なものが製作されています。 またタブリーズ郊外のサルドルードは絵画風のタブロー絨毯で有名です。
ヘリズでは幾何学文様で構成されたメダリオン・コーナーやオール・オーバーのパターンの絨毯が製作されており、その丈夫さと相まって欧米で人気を博しています。
ザンジャン周辺では遊牧系部族のアフシャルの定住民が、アゼルバイジャン地方の南にあるクルディスタン地方のサナンダジやビジャーなどではクルドの定住民が個性的な絨毯を製作しています。

イラン中央部

ペルシャ絨毯の産地の中でも、イスファハンとカシャーンは古くからのペルシャ絨毯産地として特に有名です。
これらの町を擁するイラン中央部には、他にもクムやナイン、ヤズドなどのペルシャ絨毯産地が存在しています。
とりわけイスファハンは絨毯産業の一大拠点であるだけでなく、他の様々な工芸品の中心地でもあります。
アッバス1世によってこの町がサファヴィー朝の首都となってからは芸術の中心地となり、宮廷の保護のもとに絨毯工房が開設されると周辺の町や村から多くの絨毯職人が集まりました。
ベフザド、スルタン・モハンマド 、ラシッド・アリーなどの偉大な画家をデザイナーに起用したことで、この町の絨毯産業は驚異的な成長を遂げます。
アッバス1世は交易を推進し、多くのペルシャ絨毯がヨーロッパにもたらされました。
イラン中央部の町の一つであるカシャーンでは、イスファハンよりも先にペルシャ絨毯の製作が始まり、ミフラブのパターン(画像参照)で人気を博したのは興味深いでしょう。
イスファハン近くのナインでは、第二次世界大戦後、アイボリーを基調とした繊細な文様の絨毯が好評を博しました。
またカシャーンに近いクムではきわめて高品質なシルク絨毯が製作されています。
一方、ジョーシャガンとメイメでは幾何学文様の絨毯が、チャハルマハル周辺ではバクチアリが部族の伝統に基づいた絨毯を製作しています。

イラン南西部

イラン南西部のファース地方は部族の絨毯(トライバルラグ)の宝庫です。
ファース地方には遊牧系部族のルリやカシュガイ、ハムセなどがおり、それぞれが個性溢れる素朴な絨毯を製作しています。
部族の絨毯は農村部の絨毯(ビレッジラグ)とともに、ペルシャ絨毯を多様性のあるものにしています。
ファース地方で製作される絨毯のパターンは、ヘラティ、ゴル・ファランギ、ヘバトゥルー、幾何学模様の動物や鳥のモチーフなど多岐に渡ります。
とりわけナゼムやハジ・ハヌミという名でも知られる花瓶文様(画像参照)の絨毯は人気があります。
またファース地方ではモダン・ギャッベやキリムの生産も盛んで、これらは主にルリやカシュガイの定住民によって製作されています。

イラン中南部

イランには「ケルマン絨毯のように、踏めば元気になる」という諺があります。
この諺は、まさにケルマン絨毯の品質の高さを表しているといえるでしょう。
この地域のペルシャ絨毯は比較的毛足が長く、年月が経ってもその品質は劣化せずに向上してゆきます。
ショールの産地として世界的に有名であったケルマンが、産業革命によって登場した機械織ショールに市場を奪われ、ペルシャ絨毯の生産に舵を切ったことはよく知られています。
外国企業がペルシャ絨毯の工房を設立することにより、ケルマン絨毯は世界中に広まりました。
ケルマンに進出した外国企業にはアメリカのイースタン・ラグ、イタリアのニュー・カステッロなどがありますが、イギリスのジ・オリエンタル・カーペット・マニュファクチャーズ=略称OCMはとりわけ有名です(画像参照)。
ケルマーン絨毯はすべて細やかな花文様で形成されており、砂漠の中に暮らす人々の憧れが見て取れます。
また、ケルマン周辺には遊牧系部族のアフシャルが定住しており、「ケルマン・アフシャル」と呼ばれる絨毯やソマックを製作しています。

イラン北東部

ホラサン地方は広大で、かつてのホラサン州はイラン最大の州でした。
あまりにも広すぎるので、3つの州に分割されたほどです。
他にメジャーな産業もないことから絨毯産業が中心で、絨毯職人の数も多いことで知られています。
イラン第3の都市であるマシャドの他、ニシャーブール、カシュマール、ゴナーバード、ビルジャンド、サブゼバー、グーチャンなどで、絨毯織りが盛んです。
ホラサン地方の絨毯はやや暗めの色合いが特徴で、他の地方に比べるとデザインのパターンはそれほど多くありません。
この地方には遊牧系部族のトルクメンやバルーチが定住しており、部族絨毯の生産の中心地にもなっています。
部族絨毯のほとんどが幾何学文様で、織手は頭の中で描いた美しいデザインを織り出します(画像参照)。

イラン中西部

イラン中西部にはハマダンとアラクというペルシャ絨毯の大きな集積地があります。
これらの地域で製作されるペルシャ絨毯の多くは比較的織りの粗い農村部の絨毯(ビレッジラグ)です。
アラク周辺では、かつてスルタナバード(アラクの旧称)やサルーク、ファラハン(画像参照)が世界的に有名でした。
この地域は交通の要衝となっていることから、19世紀後半から欧米へ輸出されるペルシャ絨毯の生産の中心となり、世多くの国々でその名を知られるようになったのです。
またハマダン周辺の村々では、それぞれ個性的なペルシャ絨毯が製作されていました。
マラヤー、ジョーザン、ネハーバンド、トイセルカン、マズラガン、ビビカバドなどはその産地として特に有名です。
ハマダン周辺では太い横糸を1本だけ使用するシングル・ウェフトが採用されています。
これらの魅力的なビレッジラグは安価な機械織絨毯に押され、姿を消しつつあるのが現状です。

パターンによる分類

パターンとは絨毯全体のデザインの類型をいいます。
文様という言葉と混同されることが多いのですが、文様は絨毯上に配置された個々の図形のことで、パターンとは意味が異なります。
文様はパターンの構成要素であり、パターンは文様を組み合わせることによって形成されたものです。
パターンは絨毯のテーマを表すものでもあります。
ペルシャ絨毯には様々なパターンがあり、その分類の仕方は研究者や研究機関によって異なります。
本サイトではペルシャ絨毯のパターンをイラン絨毯会社が公表している19種類に3つを加えた22種類に分類しています。

※ペルシャ絨毯のパターンについて、より詳しく知りたい方は【ペルシャ絨毯のパターン】をご覧ください。

年代による分類

ロンドンの著名なアンティーク絨毯ディーラーであるエッシー・サカイ氏が著した『カーペット・ストーリー』には「『アンティーク』という言葉は100年以上たったものについて言い、『ヴェリーオールド』は70年から90年にわたるものを意味し、『オールド』は55年位過ぎたものについて言う。『セミ・オールド』というのは一般に35年から55年の間のラグの表示に使われている。『ニュー』ラグは20年に至らないものをいう」とあります。
国によっては年数の若干のずれや呼称の違いがあるものの、セミアンティークは製作されてから80年を経過したもの、オールドは概ね50年を経たものを指すものと考えてよいでしょう。
欧米では100年に満たないものを「ヴィンテージ」「ジャンク」と称し、アンティークとは区別しています。
ヴィンテージは収集家の購買対象となり得るものに対して、ジャンクはそれ以外のものに対して用いられることが多く、ジャンクの中でもガラクタに近いようなものは「ラビッシュ」と呼ばれているようです。
ちなみに、ヴィンテージはもともとワインのラベルに記されたブドウの収穫年のこと。
転じて、年月が経過して味わいが出た年代物を指す言葉として使われるようになりました。
ただし、ビンテージは20年以上前の品物を指す言葉であり、アンティークほど古い品物ではありません。
絨毯については製作されてから100年を経たものをアンティークと呼称するのは同じですが、それよりも新しいものについては「セミアンティーク」「オールド」などと呼びます。

アンティーク

アンティークとはフランス語で「古美術品」を指す単語として使われてきましたが、その定義については明確ではありませんでした。
しかし1934年、米国が通商関税法に「製造された時点から100年以上を経過した手工芸品・工芸品・美術品」と定義して以来、世界標準となっています。
世界貿易機関(WTO)でもこの定義が採用されており、アンティークであることが証明された場合、加盟国間における関税は免除されるのが通常です。
アンティークは、歴史的な背景や文化的な意味を持ち、収集家や美術愛好家にとって価値のあるコレクションとして扱われることがよくあります。
アンティークは、その希少性や歴史的な価値から高値で取引されることがあります。
コレクションとして鑑賞されるだけでなく、投資対象としても注目されています。

※画像は1910年代のカシャーン絨毯

セミアンティークまたはヴェリーオールド

セミアンティークまたはヴェリーオールドは、一般的にはアンティークよりも新しい時代の品物を指す際に使用されます。
アンティークが100年以上前の古い品物を指すのに対し、セミアンティーク、ヴェリーオールドはそれよりも新しいが、まだ古いと感じられる品物を指します。
セミアンティーク、ヴェリーオールドに明確な定義はありませんが、一般的には、20世紀中盤から後半にかけて製造された品物を指す場合が多いようです。
セミアンティーク、ヴェリーオールドにはアンティーク同様に歴史的な価値や希少性を持つものがあります。
それでもアンティークより比較的手に入りやすく価格もリーズナブルであるなどの理由から、コレクションや装飾品として人気があります。
コレクターを中心に一定の需要があり、古さや歴史的な価値を持つ品物を探す際に、アンティークとともに注目されるカテゴリーとなっています。

※画像は1930年代のカシャーン絨毯

オールド

一般にオールドという言葉は古さや年代を強調する際に使われる言葉であり、特定の時期や年数を指すものではないため、その解釈は非常に曖昧です。
オールドという言葉はまた、古典的な価値や歴史的な意味合いを持つことがあり、様々なコンテキストで使用される汎用的な言葉です。
オールドの具体的な指す範囲は文脈によって異なりますが、一般的には「何年経ったもの」という厳密な定義はありません。
この言葉は、相対的な意味合いを持ち、新しいものや現代のものに比べて古いと感じられる対象を指す際に使われます。

※画像は1950年代のカシャーン絨毯

セミオールド

セミオールドとは一般的には、「やや古い」という意味で使用されます。
これは、新品と古いものの中間に位置する程度の古さや使用感を指す言葉です。
商品のコンディションやデザインなどがある程度古いが、まだ新しいものと比べて比較的状態がよい場合に使われることが多いようです。
ペルシャ絨毯の場合、便宜的に30年から50年ほど前に製作されたものをいうことがありますが、年代的な価値が付加されることはほとんどありません。
むしろ、年代的な価値がさもあるかのように錯覚させるために使用されることの方が多いようです。
ここでは取りあげたものの、セミオールドは一般的に使用される用語ではないことを知っておいてください。

※画像は1980年代のカシャーン絨毯

ニューラグ

ニューラグとは一般的には20年以内に製作された新しい絨毯を指す言葉です。
ニューラグは新品でまだ使用感がなく、状態がよい絨毯を表します。
もちろん伝統的な技術を用いて製作されますが、従来のとは異なるデザインやカラーリングが採用されていることもあります。
これはペルシャ絨毯にもある程度の流行があることを示唆しますが、むしろその絨毯が製作された時代背景を物語るものとして受け入れられる傾向にあります。
最近はペルシャ絨毯の輸出が低迷していることもあり、国内需要を見込んでイラン国内で人気が高まっているタブリーズ絨毯のデザインや色を採用した作品が各産地において製作されるようになっています。

※画像は2010年代のカシャーン絨毯

ペルシャ絨毯の構成

ペルシャ絨毯の構成

ペルシャ絨毯の構成は構造に関わる箇所を除くとパターンによって異なりますが、ファールド部とボーダー部で成り立っているのは基本的にどのパターンも同じです。
サファヴィー朝期に製作された絨毯や一部の部族の絨毯、ギャラリー・サイズ(ミヤーン・ファルシュ)と呼ばれる絨毯については1:2の細長い形なっているものもありますが、現代のペルシャ絨毯は特殊なものを除けば、縦横比は縦が1:1.5前後となっています。
黄金比(1:618)に近い形状になっており、敷くと美しく見えるバランスです。
2×2.5(m)や2.5×3(m)といった正方形に近いサイズや、正方形(モラバ)、円形(ゲルド)、楕円形(ベイジー)、ランナー(ケナレ)、ハラキ(小さいランナー)などの特殊な形状の絨毯も製作されていますが、種類は多くありません。

メダリオン・コーナー・パターン

➀フリンジ
➁サブ・ボーダー(外ガード)
➂メイン・ボーダー
➃サブ・ボーダー(内ガード)
➄フィールド
➅メダリオン
➆カルトゥーシュ
➇ペンダント
➈コーナー(スパンドレル)
➉エッジ

ミフラブ・パターン

➀フリンジ
➁サブ・ボーダー(外ガード)
➂メイン・ボーダー
➃サブ・ボーダー(内ガード)
➄ガンディール
➅フィールド
➆コラム
➇クロスパネル
➈エッジ

トライバル・パターン(セ・トランジ)

➀フリンジ
➁サブ・ボーダー(外ガード)
➂メイン・ボーダー
➃サブ・ボーダー(内ガード)
➄メダリオン
➅フィールド
➆コーナー(スパンドレル)
➇エッジ

メダリオン

メダリオンは絨毯の中央に位置する上下左右が対称な大きな文様です。
絨毯全体のデザインの核となるもので、これを取り巻くように様々な文様が配置されます。
メダリオンは絨毯のデザインの対称性を強調する役目を果たし、バランスの取れた美しさを演出します。
メダリオンという語は「メダル」に由来し、もともと大きな徽章やメダルの付いた飾りを意味します。
メダリオンの起源は古代ギリシャやローマ時代に遡りますが、この時代、メダリオンは硬貨のような形状をしており、表面には神や英雄、偉人、宗教的なシンボルなどが刻まれていました。
これらのメダリオンは、宗教的な信仰や個人の身分や地位を示すための織物に使用されたといいます。
しかし、常に連続文様として描かれており、ペルシャ絨毯に用いられるメダリオンとの関連性は認められません。

現存している細密画から推察すると、メダリオンがペルシャ絨毯に採用されたのは15世紀後半のことで、当時の写本の装丁(画像参照)から採用されたのはほぼ間違いありません。
それは同時代の写本の装丁との類似性を見れば容易に推察できるでしょう。
ギリシャ・ローマのメダリオンとの関連性がないことは先に述べましたが、ならば、写本の装丁に採用されたメダリオンの起源はどこにあるかが気になるところです。

装丁のデザインとしてのメダリオンは1440年以前にティムール朝の都であり、イスラム美術の中心地でもあったヘラートにおいて完成していたことが明らかになっています。
しかし、そのメダリオンが何に由来したものかについてははっきりとせず、地上にを豊かさをもたらすために雨を降らせる力を持つ太陽を表したものとする説や、庭園の中央に配置された池を模したものであるとする説。
あるいは、中国から伝わった曼荼羅に由来する説や神聖な花として崇められる蓮の花を表現したもの等があります。

いずれにせよメダリオンが、その時代の絨毯工房のパトロンであった宮廷に難なく受け入れられたことは疑いがなく、サファヴィ朝の時代に入るとメダリオンを配したペルシャ絨毯の大作が次々と製作されるようになりました。
現存する最古のペルシャ絨毯とされる狩猟文様絨毯(1524/25年作)やアルデビル絨毯(1539/40年作)にも優雅で堂々としたメダリオンが描かれています。
サファヴィ朝期に製作されたペルシャ絨毯は、複雑な螺旋状の花や蔓葉で覆われた美しいメダリオンの代名詞となります。 メダリオンは同じ頃、アナトリアやコーカサス、エジプトで製作された絨毯にも採用されましたが、これらは主に力強い幾何学的な形状でした。
以来、メダリオンは500年の時を経てなお継承され、コーナーと組み合わせたメダリオン・コーナーのパターンはペルシャ絨毯の中で最も人気のあるものとなっています。

イランではメダリオンを「トランジ」といいますが、トランジはベルガモット(バラン)の果実を意味します。
ベルガモットはミカン科の柑橘類で、果実の断面はミカンと同じ菊の花のような円形をしています。
メダリオンは建築や家具などの装飾としても用いられますが、建築用語では円形模様や円形レリーフ(浮き彫り)を指します。
しかし、ペルシャ絨毯のメダリオンには円形だけでなく様々な形状があります。
それらは曲線的なメダリオン、幾何学的なメダリオン、菱形のメダリオンの3つに分けることができます。

曲線的なメダリオン

都市部で製作されるペルシャ絨毯に使用されるメダリオンで、円形、楕円形、花型、アーモンド型などがあります。
デザインはどれも曲線的で、パルメットやロゼット、ゴル・ファランギなど、華やかな装飾で囲まれるのが一般的です。
これらメダリオンを囲む装飾をメダリオン・レースと呼びます。
メダリオン・レースはイランでは「シャムセ」(太陽の意)といい、メダリオンを周囲の文様から隔てる枠の役目を果たし、メダリオンの美しさを強調します。
メダリオンの大きさは産地によって異なり、イスファハンやカシャーンなどでは小さめ、タブリーズやマシャドなどでは大きめです。
メダリオンの中には複数のメダリオンを重ねたものがありますが、これをネスト・メダリオンと呼びます。

幾何学的なメダリオン

主に農村部で製作されるペルシャ絨毯に見られるメダリオンで、菱形、六角形、八角形などの形状があります。
ヘリズで見られるメダリオンのように複雑なデザインのものもあれば、ハマダン州の村々で見られるような単純なものもありますが、共通するのは幾何学的なデザインであるということです(一部例外もあります)。
農村部の絨毯は都市部の絨毯に比べるとノット数が少ないため、曲線を表現するには向きません。
そこで都市部のメダリオンを簡素化した上で、村々伝統のデザインと融合させたのでしょう。
農村部のメダリオンの中には菱形のものもあるのですが、同じ菱形であっても部族の絨毯に用いられるメダリオンとは成り立ちを異にすることは次に述べます。

菱形のメダリオン

部族民が製作する絨毯の中央に単一または縦方向に連続して描かれる簡素な菱形もメダリオン(トランジ)と呼ばれます。
しかしながら、これらは先に解説した曲線的なメダリオンや幾何学的なメダリオンとは起源が異なります。
菱形のメダリオンは部族民の生活の中から自然発生的に登場したもので、個々人の感性や経験、地域の風土や文化が反映されたフォークアートの部類に属するものです。
菱形のメダリオンは、中央アジアからモロッコ、ネイティブアメリカンに至るまでの部族文化の産物とされ、ときに部族の共同体としてのアイデンティティや価値観を表したりもします。
部族のメダリオンは人物や動物、植物などの文様を内包したものが多く、魔除けを意味する突起が外周に巡らされています。
部族の絨毯では小さなメダリオンが絨毯のフィールド埋めるためにも使用されます。
それらは同列上に反復されたり、同心円状に配置されたり、ストライプに組み入れられたりもします。

カルトゥーシュ

カルトゥーシュは装飾枠飾りの意で、もとは古代エジプトの象形文字で記された王や神官の名を囲む枠線のことでした(画像参照)。
古代エジプトのカルトゥーシュは横長の楕円形で一端が長く伸びている形状をしていますが、これは太陽の軌道を象徴しているとされ、太陽神ラーの保護下にあることを意味するとされています。
これが銃の実包の形に似ていることから、エジプトに侵攻したナポレオンの兵士たちによってフランス語で実包を意味するカルトゥーシュと呼ばれるようになりました。
その後、カルトゥーシュは装飾的なフレームやボーダーを指す言葉となり、絵画や建築でもこの名称が使用れています。
ペルシャ絨毯のカルトゥーシュは、花葉や動物、風景やカリグラフィーなどを囲む枠としてメダリオンの上下やメイン・ボーダーに置かれるほか、作者や注文者の名前を織り込む際の枠飾りとしても用いられます。

ペンダント

メダリオンの上下に連なる装飾をペンダントと呼びます。
ペンダントは絨毯のデザインをスマートに見せ、その美しさを引き立てる役割を果たします。
ただし、すべてのメダリオン絨毯がペンダントを伴う訳ではありません。
ペンダントはイランでは「サル・トランジ」と呼ばれますが、「カシュクル」「カラレ」「ドスタン」などの呼名もあります。
花、蔓、幾何学的なものなど、様々な形状があり、これらは常にメダリオンとの調和を意識して決められます。
メダリオンとペンダントを繋ぐ細い部分はメダリオン・ネックと呼ばれます。

フィールド

フィールドは絨毯の中央部分、すなわちボーダーで囲まれた部分を指します。
イランでは「ザミネ」と呼ばれるフィールドは、絨毯の最も重要な部分で、一般にそのデザインは絨毯のパターンを表します。
メダリオンのあるデザインでは、それが目立つように文様や色が決められます。
フィールドのデザインは実に多様で、幾何学的なパターン、花や動物などの文様、複雑なイスリムなどが含まれることがあります。
また、フィールドの色も絨毯全体の雰囲気を大きく左右します。
フィールドの色は産地ならではの文化や伝統の影響を受けている例が多々あります。

コーナー

コーナーは絨毯の四隅(角)にあるデザインを指し、イランではラチャクと呼ばれます。
メダリオンを持つ絨毯においては、コーナーはメダリオンを四分割したデザインで配置されることが多く、またメダリオンの先端部か中央部のどちらか、あるいは、それに合わせるようにデザインされていることもあります。
スパンドレル(三角小間)と呼ばれることもあるように、一般には三角形の形状をしており、植物や花、幾何学的な形状など、様々なデザインが用いられます。
コーナーはデザインのバランスを保つために重要な役割を果たすだけでなく、絨毯のパターンを補完することもあります。
メダリオンとコーナーの間の広さは一定ではありません。
バンドが中央のバンドに比べて大きくなったり小さくなったりします。

メイン・ボーダー

メインボーダーは絨毯の最外部を囲む、もっとも広い枠組をいいます。
通常、両端に2つまたは4つのサブ・ボーダーを伴いますが、場合によっては、これらのサブ・ボーダーが省略されることもあります。
メイン・ボーダーのモチーフは、これがよく見えるように、サブ・ボーダーのモチーフよりも大きく目立つようにデザインされます。

メイン・ボーダーのデザインは、直線であるものもあれば、曲線であるものもあり、片側または両側でサブ・ボーダーと交差し、捻じれや曲がりを伴う場合もあります。
メイン・ボーダーは、絨毯全体のデザインテーマを補完し、視覚効果を上げるものです。
そのデザインは多様で、幾何学的なパターン、花や葉、動物や鳥、人物など、様々なモチーフがあります。
色も重要で、メイン・ボーダーの色は絨毯全体の色彩テーマと一致するか、あるいは対照的でなければなりません。

メイン・ボーダーのデザインには産地による特徴があり、たとえばタブリーズ絨毯は、繊細で華やかなボーダーで有名で、多くの場合、複雑な花のモチーフで飾られています。
これらのボーダーは中央のメダリオンとコーナーのデザインを上手く補完しており、この町の優れた職人技を表します。
対照的にカシャーン絨毯は、均一性を重視する対称的で厳格なボーダーのデザインで知られています。
またイスファハンの絨毯は、複雑な花柄や宮殿のようなモチーフが特徴で、多くの場合、ボーダーの複雑さと優雅さに反映されています。
こうした地域別のスタイルは、それぞれの地域の豊かな文化的、歴史的背景を反映しています。
タブリーズの優雅なデザインからカシャーンの荘厳なデザインまで、各地域のスタイルがペルシャ絨毯の多様を生み出しているのです。

サブ・ボーダー

サブ・ボーダーはメイン・ボーダーの両側に位置する小さいボーダーで、その幅はメインボーダーの約半分です。
サブ・ボーダーのデザインとパターンはメインボーダーよりも遥かに小さく、色もメインボーダーとは異なります。
この色の違いは、絨毯全体とメイン・ボーダーの両方に相乗効果を与えます。
もちろん、ボーダーを飾るために使用されるパターンは、産地によって異なります。
たとえば、タブリーズではとても小さなデザインが使用されています。
ペルシャ絨毯を製作するにあたり、織手が最初に織り始める部分がサブ・ボーダーです。

エッジ

エッジはペルシャ絨毯の左右の端の部分で、サルベージともいいます。
イランでは「シラゼ・ファルシュ」と呼ばれますが、ペルシャ絨毯の主要な部分の一つであり、絨毯の形を保つために両側から囲むフレームのような役割を果たします。
エッジはいわば大黒柱のようなものです。
それがなければ絨毯は構造を維持することができなくなります。
絨毯の左右端のパイルと同じ色の糸を3~5本使用し、それを絨毯の横にある2~6本の縦糸の周りに巻き付けます。
エッジは製織の進行に合わせながら処理してゆくのが基本です。
しかし、ペアで製作する場合、あるいは産地によっては絨毯を機から降ろした後、別に用意したエッジを取り付けることもあります。
また、部族の絨毯では2色以上の色糸で飾られることもよくあります。
エッジはフラット・エッジとラウンド・エッジの二つのタイプに分けられます。

フラット・エッジ

フラット・エッジはイランでは「ハシリ」と呼ばれる、左右端の縦糸2本以上で平織を作るようにして仕上げたエッジです。
ハシリは「簾」(すだれ)の意で、縦糸のラインが簾のように見えることからそう呼ばれます。
古いタブリーズ絨毯やマシャド絨毯、グーチャンやバルーチの絨毯などに見ることができます。
トルコやアフガニスタンの絨毯は皆このタイプですが、イランではほとんど使われなくなっています。

ラウンド・エッジ

ラウンド・エッジは左右端の縦糸2本以上をまとめてかがったもので、イランでは「ルール」と呼ばれます。
今日、ペルシャ絨毯の大半はこのタイプです。
絨毯を織機から外した後、別に製作したコード状のエッジを縫い付けることもよくあります。
糸が数本束になっているので丈夫で、見た目もすっきりとしていて美しいです。
インドやパキスタン、中国などでも採用されています。

フリンジ

フリンジとは、ペルシャ絨毯の上下端から出ている糸のことです。
フリンジはペルシャ絨毯の美しさや装飾性を引き立てる役割を果たしますが、実は縦糸が露出したもので、単なる飾りではありません。
つまり、ペルシャ絨毯中を構成する骨組みの一部であり、これを見れば縦糸にどのような素材が使用されているかが分かります。
そのため絨毯の品質を見極める一つの指標となっています。
フリンジはまた、絨毯をしっかりと固定する役割も担っています。
織手は、編んだり、結んだりたりして、フリンジをどのように処理するかを決めます。
長い方が好まれる傾向がありますが、フリンジの長さは絨毯の価値にはまったく影響しません。
フリンジはペルシャ絨毯の最も繊細な部分であるため人の往来、ペットの悪戯、掃除機がけなどにより損傷することがあります。
特にビーター・ブラシ付きの掃除機やロボット掃除機は、フリンジを傷めてしまう可能性が高いため注意が必要です。
ただし、フリンジは再生することが可能であり、再生しても絨毯の価値にはそれほど影響しません。
大切なのはフリンジが根本近くまで擦り減ったら、すぐに修理を依頼することです。
そのままにしておくと、やがてパイルが外れ始め、絨毯の価値を大きく損ねてしまいます。
フリンジの再生だけなら代金もそれほど高額にはなりませんが、絨毯本体が損傷を受けてしまえれば修理代金は高くなってしまいます。

平織(キリム)

織りあがったばかりの絨毯の上下端は平織=キリム(イランではゲリーム)の状態になっています。
これを解いてフリンジに仕上げますが、イランでは平織のままの方が好まれます。
理由はキリムは傷みにくく、傷んだとしても解けばフリンジにできるからです。
また平織は構造の良し悪しや、織子の技量を見極めるポイントにもなります。
一般に、よい絨毯はキリムが綺麗に仕上がっています。

団子結び

団子結びは、イランでは「ゲレ・ノホディ」と呼ばれます。
ノホディはヒヨコ豆の意で、ゲレ(結び)がヒヨコ豆に見えることから名付けられた名称です。
フリンジを束ねて結ぶだけでよいので、かつては多くの産地で用いられていました。しかし、絨毯を使っているうちに結び目がずれたり結び目から千切れてしまうことが多く、イスファハンなどを除くとド・ゲレに取って代わられています。

二結び(ふたむすび)

二結びは、イランでは「ド・ゲレ」と呼ばれます。
ドは数字の「2」、ゲレは「結び」のことです。
外れにくく見た目も美しいことから、現在はこのタイプが主流になっています。
通常は白い綿糸を使って束ねたフリンジを結びますが、最近のクムではこれを進化させた形で何色もの糸を使い豪華でカラフルにフリンジの根元を飾るのが流行になっています。

斜め格子結び

斜め格子結びは、イランでは「ルネ・ザンブリ」と呼ばれます。
ルネは「巣」、ザンブルは「蜂」で、ルネ・ザンブリは「蜂の巣」の意です。
結び目を半分ずつずらしながら2列以上重ねたもので、蜂の巣のように見えることからそう呼称されます。
「ザンブリ」と略されるのが一般的。
団子結びのタイプと二結びのタイプの2つがあります。

捻じり留め

フリンジを捻りながら留める方法です。
フリンジを数本束ねて結ぶことで、フリンジがほつれたり乱れたりしないようにします。
この方法は絨毯のフリンジを美しく整然とした状態で保つことができます。
新しいペルシャ絨毯にはほとんど見られませんが、古いペルシャ絨毯にはこの方法を採用したものが多くあります。

三つ編み

フリンジを三つ編みにして仕上げる方法で、三つ編みにすることでフリンジの耐久性を高め、絨毯の端を美しく見せる効果があります。
また、この方法にはフリンジが絡まりにくくなり、絨毯の手入れがしやすくなるという利点もあります。
手間がかかるためか最近はほとんど使用されず、一部の農村部の絨毯や部族の絨毯に見られるだけです。

クロス・パネル

クロスパネルはミフラブ・パターンのペルシャ絨毯で、フィールドの最上部を横切る長方形の小間をいいます。
花葉やイスリム、複数の小さなミフラブなどで飾られるのが一般的です。
フィールドの最上部に置かれる場合が多いのですが、フィールドの最下部に置かれたり、最上部と最下部の両方に置かれたりもします。
ただし、すべてのミフラブ・パターンにクロスパネルがある訳ではありません。

ガンディール

ガンディールは「吊りランプ」の意。
ミフラブ・パターンの絨毯に組み合わせられるほか、メダリオンの外周を飾る装飾あるいはメダリオンから延びるペンダントとしても用いられます。
それらは石油ランプで、通常は大きな丸い球根状の本体がより狭いウエストまで上昇し、その上で上部がフレアになっています。
通常は足が付いているので地面に置くことができますが、通常は体の外側に多数の輪を通した鎖で吊り下げて使用されていました。
これらは、モスクやモスク複合施設内の他の建物を照らすために使用され、円形の金属フレームから吊り下げられたグループごとの広い空間で使用されました。
円形のフレームは今日でも多くのモスクで使用され続けていますが、電気照明には普通のランプまたは曇りガラスのランプが使用されています。

コラム

ミフラブのアーチを支える柱のことで、イランではストゥーンと呼ばれます。
ペルセポリスに見られるイオニア式のコラムを描いたものが多く、アーチが一つのミフラブではフィールドの両端に配されますが、コラムによってアーチが3つに分けられる場合もあります(画像参照)。
そうしたデザインをポルティコ、イランでは「サルダル・ガーヒ」と呼びますが、ポルティコとは、イタリア語で柱廊のことを言います。
実際のポルティコは建物の地上階玄関前などにある歩道や広場に面した部分が、柱で支えられたり壁で囲まれたりと、奥まった形をしており、事実上屋根が付いた通路となっている形式のものです。
ポルチコ、ボルチコなどとも呼ばれることがあります。

ペルシャ絨毯のサイズ

ペルシャ絨毯のサイズ

ペルシャ絨毯のサイズは基本的に倍々に大きくなってゆきます。
サイズごと名前が付けられていますが、産地によって多少の違いがあります。
また中間のサイズ、ランナー(ケナレ)や小さなランナー(ハラキ)、正方形(モラバ)や円形(ゲルド)、楕円形(ベイジー)などを製作している産地も存在します。ただし、これらの特殊なサイズについてはバリエーションはそれほど多くありません。

ポシュティ:約60cm×約90cm

ポシュティはペルシャ語で「クッション」を意味し、本来はクッションに加工するためのものです。
最近ではイランにおいても椅子とテーブルとを用いた西洋式の生活が主流になりつつあり、クッション用のウール絨毯はほとんど製作されなくなりました。
ただし、シルク絨毯については日本における玄関マットとしての需要があるため、数多く生産されています。

ザロチャラケ:約80cm×約120cm

ザール・オ・チャラク、すなわち長手が1ザールと4分の1。
1ザールは106.4cmなので、106.4+26.6=133(cm)となります。
かつては女性や子供向けの礼拝用絨毯(プレーヤーラグ)などとして用いられていましたが、安価な機械織絨毯にとって変わられ、ウール絨毯については生産数は少なくなりました。
ポシュティ同様、シルク絨毯は主に日本の市場に向けて大量に生産されています。
わが国では玄関やベッドサイドに使用することが多いようです。

ザロニム:約100cm×約150cm

長手がザール・オ・ニムで、1ザールと2分の1。
106.4+53.2=159.6(cm)です。
かつては男性向けの礼拝用絨毯などとして用いられていました。
広めの玄関や2人掛けのソファーの足元に最適なサイズです。

ハフトチャラク:約120cm×約180cm

縦がザール・オ・ハフト、横がザール・オ・チャラク。
ハフトは「7」の意で、すなわち長手が180.88×133(cm)のサイズです。
カシャーン産、タブリーズ産などに見られますが、生産数は僅か。
近年、イスファハンにおいてももこのサイズが製作されるようになりました。
ワイド幅の2人掛けソファーの足元に最適なサイズです。

ドザール:約140cm×約210cm

ドは「2」で、2ザール=212.8㎝。
もっともポピュラーなサイズで、ほとんどの産地で製作されており名品も多く見つけられます。
3人掛けのソファーの足元に最適なサイズ。
「ガリチェ」ともよばれます。

使用例:

ドザール

パルデ:約160cm×約260cm

パルデはペルシャ語で「カーテン」の意。
ドザールとキャレギの中間で、3畳に近く使いやすいサイズです。
ただし、ナインやタブリーズ、ケルマン等を除くとほとんど製作されていません。

使用例:

パルデ

キャレギ:約200cm×約300cm~約250cm×約350cm

キャレギは「頭」の意。
イランでは部屋の中央にキャレギを敷き、その左右の側部にケナレ(ランナー)、上部にミアン・ファルシュ(幅が狭いキャレギ)を敷くのが本来でした。
しかし、西洋式の家屋が増えた現代ではこうした敷き方は廃れつつあります。
リビングやダイニングのほか、わが国では和室に敷く家庭も多いようです。

使用例:

キャレギ

ガリ:キャレギより大きなもの(9平米)

約250×約350センチで、6畳ほどの大きさ。
6人掛けのダイニングセットの下にちょうどよいサイズです。
様々な産地にて製作されていますが、キャレギに比べると種類は製作される数は極端に少なくなります。
そのため、たくさんの種類の中から選ぶのは難しいです。

使用例:

ガリ(9平米)

ガリ:キャレギより大きなもの(12平米)

欧米では人気のあるサイズですが、欧米に比べて家屋の小さいわが国にはあまり輸入されていません。

※産地により多少の差異があります。

使用例:

ガリ(12平米)

ペルシャ絨毯のノット数

ペルシャ絨毯のノット数

ノット数を検討する際に知っておく必要があるのは、一般に複雑なデザインのペルシャ絨毯は単純なデザインのものよりもノット数が多く、価格も高くなるということです。
ペルシャ絨毯のノット数には大きな幅があります。
しかし、ノット数が少ない絨毯を低品質であると決めつけるのは公平ではありません。
たとえば部族の絨毯はノット数が少ないのが普通ですが、必ずしも質が悪いという訳ではありません。
使われているのは織りの伝統だけです。
ヨーロッパでは1平米中のノット数で「○○万ノット」、米国では1平方インチ中のノット数を「○○KPSI」(KPSIは、Knots Per Square Inchの略)で表します。
ヨーロッパと同じメートル法を採用しているわが国では「○○万ノット」を使うのが一般的ですが、イランでは産地独自の単位を使っています。

タブリーズ

「ラジ」(ラッジ)を用います。
1ラジは正確には6.65センチメートルですが、タブリーズでは7センチメートル中にノット列がいくつあるかにより「○○ラジ」と表します。
縦方向と横方向とでラジ数が異なる場合は足して2で割ります。
織りに用いる鈎針付ナイフは、刃の部分が1ラジ(7センチメートル)になるよう作られており、それを用いればラジ数を測ることが可能です。

イスファハン

「サタイ」(サッタイ)または「ヘフト」を用います。
1サタイは縦方向のノットの列が100列。
縦糸の数は200本です。
1メートル中のサタイの数がいくつあるかにより「〇〇サタイ」「〇〇ヘフト」と表します。
キリムの部分にサタイを示す赤や青の線が引かれているので、それを数えれば分かります。
イスファハンのバザールでは、サタイを使うのが一般的です。



ナイン

縦糸の1本あたりの撚りの本数で表します。
9本撚りであればノーラー(9LA)、6本撚りであればシシラー(6LA)、4本撚りであればチャハルラー(4LA)です。
撚りの本数が少ないほど縦糸は細くなりますから、織りは細かくなります。
つまりノット数の多さの順は、4LA>6LA>9LAです。
撚りの本数が多いほどノット数も多くなる訳ではありませんので、間違えないようにしてください。

その他の産地

便宜的にラジを用いる場合が多いようです。
イラン絨毯博物館では、すべての収蔵品をラジで統一しています。
なお、産地によってノット数の数え方が異なるのは、昔は交通網が発達していなかったためで、産地ならではの数え方が生み出されたのです。

ペルシャ絨毯の工房

ペルシャ絨毯の工房

ペルシャ絨毯の工房は二つの形態に分類されます。
一つは多数の小生産者を一つの仕事場に集め、同一資本の管理下に置いて賃金を支払い生産に従事させる、工場制手工業によるもの。
これは規模はともかく誰もが想像する工房、すなわち工芸家の仕事場=アトリエに近いもので、タブリーズなど一部の産地において見られる形態です。
もう一つは商人(問屋)である絨毯作家が材料、道具、生活費等を貸し付けて労働者や農民などの小生産者に生産させ、生産物をすべて買い取る問屋制家内工業によるもの。
大方はこの形態をとっているのですが、工房というのはあくまで概念であって、実質は絨毯作家のもとで生産に関わる人的組織のことです。
ペルシャ絨毯の製作には以下の人たちが関わっています。

絨毯作家

絨毯作家は工房の長で、絨毯製作におけるプロデューサーです。
イランでは「カールファルマー」と呼ばれ、絨毯製作を企画して出資し、デザイナーや染色家、織師などのチームを指揮し、ペルシャ絨毯の製作プロセス全体を監督します。
市場の需要やトレンドを考慮しながら、ペルシャ絨毯のデザインや素材、サイズ、価格設定などを決定し、効率的な製造プロセスを設計し、品質管理や販売なども担当します。
また、絨毯の製造過程での問題解決や改善を行い、最終製品の品質や満足度を確保します。
土地の資産家、地主、絨毯商などがこれを務めるのが一般的です。

デザイナー

デザイナーはイランでは「タラーフ」と呼ばれます。
絨毯作家と契約したデザイナーは、方眼紙上にデザインを描き意匠図を作成します。
かつては細密画家や装丁師がデザイナーを兼ねることもありました。
意匠図が完成するまで通常1~2ヵ月はかかります。
時代を反映し、コンピューター・グラフィックスにより意匠図を作成することも多くなってきました。
アラバフ(タブリーズ)やメヒディイ(イスファハン)のように、デザイナーが絨毯作家を兼ねることもあります。

染色家

染色家は、ペルシャ絨毯のパイルに使用する糸を染色する職人です。
イランでは「ラングラズ」と呼ばれ、デザイナーが作成した色見本に基づいて独自の染色技術を駆使して美しい色合いを糸に染めあげます。
ペルシャ絨毯の色彩の豊かさや美しさは、染色家の豊富な知識と熟練した技術によって生み出されます。
ペルシャ絨毯の製作において染色家の存在は欠かせず、作品の品質と芸術性を向上させるために重要な役割を果たしています

整経師

整経師は織機に縦糸を張ることを専門にする職人で、イランでは「チェッレ・ケシー」と呼ばれます。
整経師は、縦糸を織機の上梁と下梁に均等な間隔と張力でぐるぐると巻き付け、織師が絨毯を織る準備を整えます。
この作業はペルシャ絨毯を製作する際の基礎となるプロセスであり、絨毯の品質や美しさに大きな影響を与えるため、極めて重要です。
小さなサイズのペルシャ絨毯を製作する際は織師がこの作業を行うことがありますが、通常は専門の整経師が担います。
整経は一見簡単そうに見えて、実は高い技術を要求される作業なのです。

棟梁

棟梁は、絨毯の製造現場において生産プロセス全体を監督し、品質管理や効率性を確保する責任者をいいます。
イランでは「オスタード」と呼ばれ、工房での絨毯製作の現場で、作品が設定された基準に合致しているかどうかを監視し、品質を維持するための対策を講じます。
織師と連携して製造現場での問題や課題に対処し、即座に対策を講じて工程のスムーズな進行を確保して作業の指示を行い、織師全員のパフォーマンスを向上させます。
また、小さな工房では棟梁自身が織りの作業に加わることもあります。
棟梁は絨毯製造の現場での円滑な運営と品質管理に貢献し、高品質な絨毯作品の製作をサポートする重要な役目です。

織師

織師は、ペルシャ絨毯を手織する職人をいいます。
イランでは「バーファンデ」と呼ばれ、熟練した技術と専門知識を持ち、織機に取り付けられた色糸を結びながら絨毯を織りあげる作業を行います。
ペルシャ絨毯の織師はデザイナーが指定したパターンや密度を再現し、絨毯のデザインを正確に表現します。
そのため、織師の技術と正確性が、絨毯の美しさや品質に影響を与えます。
織師といえば女性のイメージがありますが、男性が勤めることも多く、その男女比は半々です。
とくにタブリーズでは織師は全員男性です。
絨毯商の中には小さな子供が織っているなどと説明する者がいますが、イランでは12歳以下の子供を絨毯織りの仕事に従事させることは法律で禁じられています。

仕上師

仕上師は、絨毯の製作工程の最終段階で、絨毯の仕上げを行う職人のことです。
仕上師は、織師によって織りあげられた絨毯を綺麗に整え、絨毯の最終的な外観や品質を確保します。
絨毯のパイルを適当な長さになるように均一に刈り取り、またエッジヤフリンジを処理してペルシャ絨毯を完成させます。
仕上師は絨毯の完成度や価値を向上させる重要な役割を担っています。
仕上師の腕如何によっては長い月日をかけて織りあがったペルシャ絨毯が駄目になってしまうことさえあるのです。

ペルシャ絨毯の有名作家

ペルシャ絨毯の有名作家

16世紀にペルシャ絨毯の黄金期を築いたサファヴィー朝期の有名な絨毯作家の一人には、アブドッラシード・バニサドルがいます。
彼はサファヴィ朝期の絨毯デザインの革新者として知られています。
他には狩猟文様絨毯の作者であるギヤース・ウッディン・ジャミやアルデビル絨毯の作者であるマクスド・カシャーニらが挙げあれます。
しかし、彼らについての記録はほとんど残されていません。
サファヴィー朝の消滅とともに姿を消した絨毯作家ですが、19世紀後半に絨毯産業が復興すると、再び多くの絨毯作家たちが登場します。
彼らはサファヴィー朝期の伝統を尊重しつつも、独自のスタイルやアイデアを取り入れて、美しい作品を生み出し、ペルシャ絨毯の歴史に大きな功績を残しました。

※ペルシャ絨毯の有名作家について、より詳しく知りたい方は【ペルシャ絨毯の有名工房(作家)】をご覧ください。

ペルシャ絨毯の銘(サイン)

ペルシャ絨毯の銘(サイン)

都市部の絨毯の中には絨毯の上端あるいは下端に銘が織り込まれているものがあります。
誤解されやすいのですが、銘が織り込まれている絨毯が必ずしも高級品であるとは限りません。
もちろん、アモグリやセーラフィアンなど、高名な絨毯作家の作品ともなれば銘は価値に影響してきますが、そうでない場合、銘の有無はさほど絨毯の価値に影響しません。
無銘の絨毯に有名作家の偽の銘を付け加えたものも多くあり、そうともなればオリジナル性を損なうことにもなりかねません。
偽の銘が入れられている絨毯はいわば「傷物」であり、価値が下がってしまうこともあるのです。
事実、買付の現場で「偽の銘さえ入ってなければ……」と惜しまれるのはよくあることです。
わが国で人気のあるハビビアン工房の作品の95%以上が、「クム産○○工房」として販売されているマラゲ産のシルク絨毯については100%が偽物であることをぜひ知っておいてください。
銘に囚われるということはそれほど危険なことなのです。
絨毯屋の中にはサインについて、デザイナーの名前であるとか織子の名前であるとか説明する者がいるのですが、完全な間違いとはいえないものの、大筋において正解ではありません。
実はサインというのは一様ではなく、産地によって、あるいは時代によっても異なりますので、ぜひ知っておいてください。

絨毯作家の名前

いわゆる「工房」の作品として織り込まれているのは、工房経営者である絨毯作家の名前である場合がほとんどです。
産地名とともに入れられるのが一般的ですが、シリアルナンバーや絨毯組合の登録番号が加えられることもあります。
企業であるICCの作品には「シャリカテ・ファルシュ」(絨毯会社)と織り込まれていますが、サインが入れられていないものも多いです。

絨毯作家の名前とデザイナーの名前

現代のタブリーズではデザイナーが工房専属、あるいは絨毯作家がデザイナーを兼ねるというケースはほとんどなくなっていて(アラバフぐらい)、デザイナーは完全に独立しているため、絨毯作家とデザイナーの両者の名前が織り込まれるのが一般的。
逆にオールド〜セミアンティークのタブリーズ絨毯には絨毯作家の名前だけを織り込んだものが多いです。

絨毯作家の名前と注文者の名前

現代物ではほとんど見かけませんが、アンティーク絨毯にはこのケースが多いです。
年号や地名が加えられることもあります(例:○○市の○○の注文により○○が○○年に製作した)。
画像の例では絨毯作家と注文者の名前が別のカルトゥーシュの中に織り込まれていますが、両者の名前が1つのカルトゥーシュの中に織り込まれているものも多いです。

織師の名前

絨毯作家に雇われた織師が、自らの名前を(勝手に)織り込むことも稀にあります。
雇主に対する後ろめたさからか、目立たないよう小さく入れられているものが多いです。
また、ビレッジラグやトライバルラグにも製織者の名前が織り込まれている作品があり、その場合は年号が一緒に入れられていることもあります。

産地名、年号のみ

ビレッジラグやトライバルラグには産地名や年号だけを織り込んだ作品もあります。

ペルシャ絨毯の手入れ

ペルシャ絨毯の手入れ

ペルシャ絨毯を最善な状態に保つには、汚れ、日光、熱、湿気をすべて管理する必要があります。
とはいえ、決して難しいものではなく、誰でも簡単にできることです。
ペルシャ絨毯を半年ごとに180度回転させると、パイルが均等に磨耗します。
西日の強い部屋ではブラインドを閉めたり、レースのカーテンを使用すると褪色を遅らせることができます。
ビーター ブラシ付掃除機やロボット掃除機はフリンジが回転に巻き込まれて損傷してしまうので、使用しないか、フリンジを折り返して傷まないようにしてください。
掃除機は最も軽い設定で、週に一度、優しくかけるだけで大丈夫です。
オールシルクの敷物には細心の注意を払い、できれば掃除機は使用せず、絨毯を振るか柔らかい箒で埃をを取り除いてください。
半年に一度は絨毯を日陰干しにすることをお勧めします。
これは絨毯に溜まった湿気を蒸発させるためです。
湿気はカビの発生を誘発するだけでなく、縦横糸を劣化させることがあります。
室内で使用する場合、クリーニングは10年に一度で構いません。
ただし、必ず手織絨毯専門のクリーニング業者に依頼してください。
これらは一般的なガイドラインのほんの一部です。
詳しくは【普段のお手入れ】をご覧ください。

参考文献サイト一覧

店舗案内

名称Fleurir – フルーリア –
会社名フルーリア株式会社
代表者佐藤 直行
所在地

ペルシャ絨毯ショールーム【予約制】>
〒135-0063
東京都江東区有明3-5-7
TOC有明2F(2-1~2-3号室)
【来店予約電話】03-3304-0020
【来店予約メール】info@fleurir-inc.com
【営業時間】10:00-18:00
【定休日】不定休

サロン・ド・フルーリア(フルーリア東京事務所)
〒175-0083
東京都板橋区徳丸7-2-4 7 Carat State 302
【TEL】03-3304-0020
【FAX】03-4333-0285

イラン事務所
Spbdgharani 114, Bozorkmh, Esfahan, Ian
【TEL】98-32-678243

警備事業部(準備中)
〒175-0083
東京都板橋区徳丸7-2-4 7 Carat State 302
【TEL】03-3304-0020
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