2018/09/07
日経BPコンサルティング社発行の『MOMENTUM』春号(Issue21)に、フルーリアの商品が紹介されました。
紹介されているのはミホ・ミュージアム(滋賀県)、絨毯ギャラリーさん(兵庫県)、ミーリーコレクションさん(東京都)とフルーリア・ショールームですが、8ページの記事のうち4ページ、掲載されている絨毯14点の半分が弊社の商品です。
安藤編集長様、ライターの辻様、東京からわざわざお越しいただき、ありがとうございました。
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踏んづけるアート
絨毯研究
絨毯を新調したいのに、情報が少なく、どう買えばいいのかわからない。
値の張るものだけに値の張るものだけに、とびきりの1枚を手に入れたいと思う人は少なくない。
今回は、絨毯の基礎知識と、編集部が厳選した地域性やオリジナリティの強い絨毯を紹介する。
一見すると、幾何学文様のようだが、よく目をこらすと、天使、鳥獣、魚、龍、鳳凰といった多様なモチーフが、精緻に生き生きと織り出されているのに気づく。
その技はその技はまさに人間業の極致だ。
MIHO MUSEUMが所蔵するこの「サングスコ絨毯」は、16世紀末に織られたもので、日本にあるペルシャ絨毯では最も古いとされるもの。
絨毯の芸術性にあらためて驚かされた。
ペルシャ絨毯とは、イラン産(旧ペルシア)の手織り絨毯のこと。
絨毯と聞くと単に敷物を指すと思うかもしれないが、狭義では羊毛または絹を素材とした、毛足のある〝パイル織り〟の敷物のことを意味する。
つまりこの場合、平織の〝キリム〟やフェルトの〝毛氈〟は含まない。
パイル織りは、たて糸と横糸で織った平織をベースに、2本のたて糸にパイル糸を結ぶ技術のこと。
ノット(10cm四方の結び目の数)が多いほど織りが細かく、質が高いことを示し、高級品では100万ノットを数える。
ちなみにパイル糸がシルクならばシルク絨毯、羊毛ならばウール絨毯と呼ぶ。 砂漠や草原の厳しい環境にあり、保湿や断熱に優れた絨毯が不可欠な西アジアや中央アジアには、絨毯生産地が集中する「カーペット・ベルト」と呼ばれる地域がある。
イラン、トルコ、トルクメニスタン、コーカサスは4大生産地で、中でも秀でているのがイラン産のペルシャ絨毯だと言われる。
「世界で最も古い歴史を持つのがペルシャ絨毯で、現存するものでは、アケメネス朝時代(約2500年前)の絨毯が見つかっています。
その『パジリク絨毯』を見ると完成度は実に高い。
現代とほぼ同等の技術が確立していたことがわかります」と国立民族学博物館の名誉教授、杉村棟さんは言う。
宮廷の保護のもと、絨毯生産の隆盛を極めたのが、16世紀のサファヴィー朝時代だ。
美術工芸品の黄金期で、目利きの王のもと多くの傑作が生み出された。
「宮廷工房では羊の飼育から製織まで一貫して行われたようです」(杉村さん)。
柔らかな曲線に富み、精緻で具象性のあるデザインは、写本挿絵や装丁の装飾を下地にすることも少なくなかった。
この時代の絨毯は、現在、数十億の価値があるとも言われる。
やや強引だが、ペルシャ絨毯を大別すると、下絵を描かないラフな柄の遊牧民の絨毯と、下絵があり緻密な柄の都市の絨毯に分けられる。
かつて日本ではシルクを用いた都市の絨毯の人気が高かったが、近年では逆。 「ギャッベ」と呼ばれる毛足の長い素朴な柄の遊牧民絨毯が注目を集めている。
ギャッベの織り手は、ザグロス山脈(イラン南部)に暮らすカシュガイ族の女性たち。
絨毯に織り込むのは自然界の風景や現象だ。
〝ジグザグ〟は水の流れ、〝木〟は生命など、柄には特別の意味があり、それらは技術とともに母から娘へと受け継がれてきた。
ギャッベはその素朴な性質からゴミ扱いされ、商品としては見向きもされなかった過去を持つ。
近年、ギャッベが日本に大量に輸入されるに至ったのは、約30年前にヨーロッパで起きたギャッベブームが背景にある。
立役者のゴラムレザー・ゾランヴァリ氏は、最高品質の糸を使い、化学染料の導入により使われなくなっていた草木染を復活させ、都会生活に合うギャッベを生み出した。
それによりブーム前の古いギャッベも市場に出回り、ギャッベが脚光を浴びたのである。
ブームになれば、粗悪品も出回る。
触れば違いは明らかだが、ゾランヴァイプロデュースの模倣品も出回り、日本の市場は玉石混交。
ギャッベを選ぶなら、数は少ないが、ブーム以前に織られた古いギャッベや、ゾランヴァリプロデュースのギャッベを探すのが、確実だ。
では、都市の絨毯は、どう選べばいいのか。
昔も今も、クム、タブリーズ、カシャーンなど多くの産地で織られているが、狙い目は、日本でも入手可能な19世紀~20世紀初頭の絨毯や、伝統的手法で製作している現代工房の絨毯だ。
「昔の絨毯は、産地ごとに柄や色に特徴があり違いが明確。また、その時代の独特な力強さが表現されています」と、ペルシャ絨毯協同組合元理事のアリ・ソレマニエさんは言う。
現代は、早いスピードで情報が行き交うために絨毯も〝売れる柄〟に偏りがち。
しかし、中には産地のオリジナリティを守りながら現代性をうまく取り入れている工房も出てきている。
購入時は、信頼のおける専門店で、産地や工房の伝統的な柄、色、織りの特徴などを聞くことが重要だ。
また、「絨毯の空気感や、織り手の息づかいを感じてほしい」とアリさんは言う。
それには、多くの絨毯を見て目を肥やし、感性を磨くしかない。
世界には古い絨毯を美術作品として収蔵する美術館が少なくない。
また、日本国内でもMIHO MUSEUMのほか、遠山記念館(埼玉)、白鶴美術館(兵庫)、京都の祇園祭で16世紀~20世紀のペルシャ絨毯と対面できる。
サファヴィー朝時代に製作された絨毯で、後にポーランドにわたり、長らくサングスコ王家が所有していたことから「サングスコ絨毯」と呼ばれる。
16世紀末、604×322cm、パイル:羊毛 MIHO MUSEUM所蔵
カシュガイ族のセトランジ柄
ギャッベに見るざっくりとした織りとは異なるが、これもまた、カシュガイ族の女性の手で織られた絨毯だ。
「セトランジ」とは、メダリオン(中心部の大きな柄)の3つの菱形のこと。 昔のギャッベにはよく見かける柄で、カシュガイ族の伝統柄のひとつである。
多様なモチーフを緻密に織り出す技術を持ちながら、ギャッベ人気の今、こうした伝統的なカシュガイ絨毯を織ることはほとんどなくなった。
そういう意味でも、価値は高い。
下絵のある絨毯の場合、メダリオンの周辺は左右対称に柄が織られるものだが、この絨毯は、細かい柄に法則性がない。
成り行き任せのところは、前ページのライオン柄のギャッベと同じ。
遊牧民の絨毯特有の温かみが感じられる。
カシュガイ族にとって絨毯は、嫁入り道具のひとつでもあるという。
普段使いのために柄の細かい絨毯を織るとは考えにくいから、これがその一枚なのだろうか――。
そこに思いを馳せ、大切に使いたい一枚だ。
カシュガイ、1930年代、手紡ぎ、草木染。 193×140cm、60万円
問:フルーリア☎086-435-0470 ※東京に移転しました(☎03-3304-0020)
サルーク産のモストフィ柄
今回紹介する絨毯のなかで、最も古いアンティーク絨毯である。
ペルシャ絨毯の代表的な柄、蔓草(エスリム)を、連続させたデザインを「モストフィ」と呼ぶ。
19世紀後半から20せい20世紀初頭にかけて、サルークやビジャーなどで織られたデザインだ。
全体のトーンをやわらげ和らげる蔓草のピンクが印象的だが、この色も古いサルーク絨毯によく見られる色。
化学染料が一般的でない時代ゆえ、100%草木染が使われている。
また、全体を見回すと、蔓草を大倫の花束が囲んでいることがわかるが、これはヨーロッパ人が好む花のデザインなのだという。
63ページでも少し触れたように、当時はヨーロッパ向けの絨毯が盛んに作られた時期。
この時代の絨毯は、ヨーロッパのデザインの影響を受けながら、昇華させている。
この絨毯とほぼ同じ柄の絨毯が、兵庫県の白鶴美術館にある。
ミュージアム・ピース級の絨毯を踏んづける幸せ――。
それは、どんなものなのか、想像するだけで楽しい。
サルーク、1910年代、草木染。 220×140cm、100万円
問:フルーリア☎086-435-0470 ※東京に移転しました(☎03-3304-0020)
絨毯の世界
一度見たら忘れられない、想像を超える絨毯のユニーク・ピース。
神話や神話や時代背景が、織り手によって絨毯に映し出された逸品を紹介する。
文=辻 啓子 写真=平松岳大
a. 中央アジアに位置するアフガニスタンも、かつて絨毯生産地として栄えた国。
ソ連侵攻を機にアフガン人が作ったウォーラグ(戦争柄)は、欧米に多くのファンを持つ。
これは戦火を逃れた人がパキスタンで制作した1枚。
パキスタン、1990年代、194×106cm、15万円➂
b. 王書に収められた物語『ホスローとシーリーン』を題材にしたペルシャ絨毯で、王妃の悲恋物語が織り込まれている。
第二次世界大戦以前のカシャーンでは、こうした細密画を再現した絨毯が数多く作られた。
イラン・カシャーン、1940年代、206×134cm、120万円➂
c. 高速道路や高層ビルの風景を織り込んだアフガニスタン絨毯。
ウォーラグの流れを受け、こうした絨毯も1980年代に作られた。
車が逆さだったり、直角に立っていたりと、その"いい加減"な柄の具合が面白い。
アフガニスタン、1980年代、162×128cm、20万円➂
e. 世界地図を織り込んだギャッベ。大きめのサイズと、文字まで丁寧に織られた柄からは、イラン革命の後に注文を受け、カシュガイ族が作成したものと推測できる。
日本の国旗がなぜかバングラディッシュの国旗に。
これもギャッベらしさ。
大きめのサイズと、文字まで丁寧に織られた柄からは、イラン革命の後に注文を受け、カシュガイ族が作成したものと推測できる。
日本の国旗がなぜかバングラディッシュの国旗に。
これもギャッベらしさ。
イラン・カシュガイ、1980年代、285×218cm、120万円➂
f. サファヴィー朝時代の細密画にこの「ノアの方舟」と同じデザインがあり、おそらくはそれをアレンジしている。
独特なのは、下部に熱帯魚やワニなど多種多様な生物が織り込まれ、周囲に方舟を作る過程が示されていること。
この時代の草木染は希少。
イラン・ビジャー、1970年代、218×140cm、80万円➂
SHOP INFORMATION
➂フルーリア(岡山・倉敷)☎086-435-0470 ※東京に移転しました(☎03-3304-0020)
長年、大手百貨店で絨毯販売に携わっていた目利きのオーナーが開いた店。 他店にはないトライバルラグ(部族絨毯)をそろえる。 岡山県倉敷市中央1-6-20 ※東京に移転しました(東京店は予約制です)