なぜ日本の絨毯屋はペルシャ絨毯についての知識レベルが低いのか?
[画像:エッシー・サカイ著『The Story of Carpets』]
欧米の絨毯商の中には学者も顔負けなほどの専門知識を有する者がいます。
事実、彼らが執筆した書籍の中には素晴らしい内容のものがあり、エッシー・サカイ氏が表した『The Story of Carpets』などは、その代表例でしょう。
それらは、わが国で出版されているペルシャ絨毯関連の書籍とは比べものにならないほどレベルの高いものです。
日本で出版されている『カーペットストーリー・ペルシャ編』(1997年、千毯館)はこの和訳本ですが、写真の解説は素晴らしいものの、本論の訳が稚拙すぎて読むのに疲れます。
欧米には由緒ある絨毯屋がいくつもあります。
彼らはその4代目、5代目であったりする訳です。
欧米、とりわけ貴族制度がいまも続くイギリスでは「ノブレス・オブリージュ」の精神が受け継がれています。
ノブレス・オブリージュは、特権を持つ者や富裕層が、その地位に伴う責任や義務を果たすべきであるという概念を指しすものです。
このフレーズはフランス語で「高貴さの義務」という意味を持ち、特に貴族や高い社会的地位にある人々に対して、自己の富や権力を用いて社会に貢献することが求められるという道徳的な考え方を表しています。
ヨーロッパの王族が軍隊に入隊するのはそのためであり、国難急を告げるときには自らが先頭に立って命を捧げるというものです。
これはかつての日本の皇族も同じで、皇族の男子は陸軍もしくは海軍に入ることが義務づけられていました。
日清戦争以降、とりわけ大東亜戦争には多くの皇族が出征し、朝香宮正彦王(音羽侯爵)や伏見宮博英王(伏見博英伯爵)など、臣籍降下して旧皇族となった人々を中心に戦死者も出ています。
彼らは陸海軍の将校として最前線で勇敢に戦い、命を落としたのです。
しかし、こうした事実ははあまり知られていません。
話を戻します。
残念ながら日本には、そうした由緒ある絨毯屋は一つもありません。
何代目をうたっている者はいるかもしれませんが、わが国では「父の時代から」の絨毯屋はあっても「祖父の時代から」の絨毯屋など存在しないのです。
これはペルシャ絨毯が日本で一般に広まったのが、1980年代に入ってからという事実に照らし合わせれば当然でしょう。
親戚がイランで橙絨毯屋をやっていることはあるのかもしれませんが、日本の店舗と直接の関係はない訳です。
わが国の絨毯屋がペルシャ絨毯に関する知識を欠いている理由の第一は、前述したように由緒ある絨毯屋がないということです。
驚かれるかもしれませんが、日本にいるイラン人絨毯屋の中にイランの絨毯バザールでキャリアを積んだ者はほとんどいません。
バブルの時代、たくさんのイラン人が来日しましたが、その多くはいわゆる3Kの職業に就ていました。
3Kの職業とは、「きつい」「汚い」「危険」の頭文字を取った俗語で、主に建設・土木作業員、清掃員など、肉体的な負担や衛生面、事故のリスクが高い仕事全般を指します。
建築ラッシュに沸いたバブルの時代、これらの需要は極限に達していたのです。
しかし、バブルが弾けるとこれらの需要は一気になくなりました。
またイラン人の不法滞在・不法就労が相次ぎ、日本とイランのビザ協定が廃止されると、多くのイラン人が仕事にあぶれ、帰国するの止むなきに至ったのです。
日本に滞在し続けるためには仕事を持たなければなりません。
自営であれば最強です。
そんなとき手っ取り早いのがイラン・レストランと絨毯屋でした。
何のキャリアも持たないイラン人たちがレストランや絨毯屋を開業することになったのです。
自動車屋に勤めていたあるイラン人はフェラーリが売れたお金で絨毯屋を始めました。
六本木の飲食店のウェイターであった別のイラン人は、友人から借りたペルシャ絨毯3枚を売ったお金で絨毯屋を始めたと聞きます。
バブルは弾けたとはいえ、まだ名残りがあった時代ですから、ペルシャ絨毯を売るのはいまほど難しくなかったのです。
知り得る限り、バザール出身のイラン人が経営しているペルシャ絨毯専門店は全国に5店舗ほどしかありません。
バブルの名残のある時代には大した苦労をしなくても高額絨毯が売れた時代でした。
苦労をしなくても売れるとなれば、人は努力もしなければ勉強もしません。
悲しいかな、それが人間の性です。
素人が勉強をしない訳ですから、知識レベルが上がるはずがなく、それが今日の日本の絨毯業界の根底にあります。
日本の絨毯屋が欧米の絨毯屋と異なるのは、まさににこの点です。
インテリアデザイナー時代にお世話になった事務所の所長は、ことあるごとに「優秀なデザイナーは大工ができる」と言っていました。
建築関連の法令、建物の構造、建材の特徴、電気器具の仕様、施工の仕方の理解なしに素晴らしいデザインは生まれないということです。
かけがえのない
事務所でまず最初にやらされたのは建築金具のカタログを取り寄せ、それを徹底的に読み込むことでした。
小さな知識を溜め込むことがプロとしてかけがえのない武器になることを叩き込まれたのです。
プロとはその道を極める人です。
根が素人のままの絨毯屋は、売れなくなると安易な解決策に逃げてしまいます。
イラン製のペルシャ風機械織絨毯が売れるとなれば皆が一斉にそれを販売し始めるのです。
それがペルシャ絨毯のブランド力を大きく落と結果を招くことなど、考えもしません。
プロであるなら、敢えて厳しい道を進むべきです。
それがプロとしての務めであり意地であるはずです。
絨毯商としてのプライドがあるなら、ペルシャ絨毯を愛しているなら、機械織絨毯を扱うなどできないはずです。
……と、昭和生まれの絨毯屋の独り言でした。
日本の消費者が絨毯を選ぶ際に重視するのは価格やデザインであり、ペルシャ絨毯の歴史的背景や文化的背景についてはあまり関心がないようです。
こうした現実が、絨毯屋の甘えを生む原因になっているのでしょう。
しかし、それではこの業界はやがて沈んでしまいます。
絨毯業界に生きる私たちは、それを強く意識しなければなりません。
出典:House and Garden
https://www.houseandgarden.co.uk/article/five-ways-to-use-rugs-interiors/

