イランのトライバルラグ・コレクター

イランのトライバルラグ・コレクター

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テヘランのパムナール・バザールにあるファラシュバシ横丁の喧騒を離れ、ユセフ・サマディ・バフラミ氏のこぢんまりとした店に足を踏み入れると、そこはペルシャ絨毯に興味を持つ人にとってはまさに宝の山です。
店の壁や床には、様々な民族、とりわけ遊牧系部族の文化や伝統に根ざした絨毯が所狭しと並んでおり、そのデザインや文様は、私たちがこれまで目にしてきたどの絨毯とも異なっています。
テヘラン出身のバフラミ氏は、古い絨毯を一枚一枚手に取り、語り部のように個々にまつわるストーリーを語ってくれます。
バフラミ氏によると、店には180年から200年前に遡るファトフ・アリー・シャーの時代の絨毯から、世界的に人気で欧米のオークションでは高値で取引されるものの、イランでは評価されることの少ないトライバルラグまで、ありとあらゆる絨毯を取り揃えているそうです。

バフラミ氏は、幼い頃からペルシャ絨毯の修復を学びました。
トライバルラグに抱いた興味と愛情は、やがてそれらを修理することへと繋がり、彼の独特な絨毯コレクションは、自身の若き日の努力の結晶へと昇華したのです。
バフラミ氏は絨毯バザールの修理工房でで働き始めました。
「工房のオーナーは読み書きができませんでした。彼に信頼された私は絨毯の証明書の作成を任され、そのときからどの絨毯がどの都市やどの時代のものかが分かるようになりました。責任ある仕事だったため、工房オーナーの収入を知ることもできました。修理職人の収入が比較的高かったことも、この仕事に惹かれた理由の一つです」と語り、古い絨毯を修理することへの情熱が収集の道へと導いたと振り返ります。

彼は数多くの古いペルシャ絨毯の修復に携わってきましたが、過去30年間にわたる彼の仕事は、まるで錬金術のようです。
多くの希少な、そして時に歴史的にも貴重なペルシャ絨毯が、ディーラーや密輸業者の手に渡らず、欧米の有名オークションにも出品されなかったという事実は、イランの遺産を守るためにバフラミ氏がした努力の賜物と言えるでしょう。
彼は自身の持つ修理と保存にかかわる専門知識は、ペルシャ絨毯の歴史についての綿密な調査と研究の成果であると考えています。
また、絨毯修理の父と称されるアブドゥッラー・アフサリ師にも言及し、「戦争が始まって工房が閉鎖されていたとき、私はアブドゥッラー・アフサリ師のもとを訪れ、修理技術を学びました。2年後、私は自分の店を開き、古い絨毯を買い取っては修理し、それらを販売する仕事をしていました。そんな中、イタリアのヴェネツィアでトライバルラグを売買しているイラン人商人と出会い、この出会いが私の人生を大きく変えたのです」と語ります。

世界の有名オークションに出品されれば数百万ドルの値がつくような希少な絨毯が、テヘランの絨毯店の片隅で埃をかぶっているにもかかわらず、国立絨毯博物館にはそれらを収蔵するスペースがありません。
バフラミ氏は、自身のコレクションの中でも最も貴重な絨毯の一つとしてファトフ・アリー・シャーの絨毯を紹介し、「その名の通り、この絨毯はファトフ・アリー・シャーの治世下で製作されたもので、180年前のものと推定されます。これらの絨毯は宮廷の命によりサファヴィー朝期のデザインを用いて製作されましたが、イラン国内では5000万トマン(約1400万円)以下の価値しかありません」と嘆きます。
多くのコレクターと同様に、バフラミ氏も自身のコレクションが博物館に収蔵することを望んでいますが、文化財として登録された絨毯を永久保存する努力が為されなければ、30年間の努力の成果が失われてしまうと考えています。
「これらの価値は計り知れませんが、私がいなければ5000万トマンの絨毯を10万トマンで買えることはなかったでしょうし、子供たちに絨毯を捨てさせることもなかったでしょう。だからこそ私はイランの人々を啓蒙し、トライバルラグに対する見方を変えたいのです」と彼は続けます。

バフラミ氏はトライバルラグを購入して修理するだけでは満足せず、長年の研究を通じて、これらの歴史と製法に関する口承史家となりました。
彼は、すべてのトライバルラグにストーリーがあることを疑いません。
絨毯バザールでは古い絨毯の価値を表す際に「この絨毯には歯(口)がある」と言います。
トライバルラグもまた、一枚一枚が見る者に自らのストーリーを語りかけるのです。
バフラミ氏は苦笑しながら話します。 「私は30年前にトライバルラグの収集を始めましたが、強い愛着から、それらを売ることができませんでした。ときにはお客様や友人の目を避けるために自宅に移動させることもありました」。

バフラミ氏との会話は、ある意味、啓示のようでした。
遊牧民の絨毯のデザインに隠された秘密を解き明かし、物語を伝える遊牧民の織り手たちの技を垣間見ることができました。
彼は、ザンジャン絨毯のスラブから収集を始めたと語り、最初の絨毯で得た莫大な利益は、このコレクションを形にしていくという彼の強い決意と無関係ではなかったと、ためらうことなく語りました。
絨毯修復の仕事に就いてから3ヶ月後、彼は週給1500トマンを稼いでいました。
当時、工房のオーナーが500トマンで仕入れたザンジャン絨毯を、1週間分の賃金と引き換えに購入しました。
家に持ち帰り、少しずつ修復しましたが数年後、同じ絨毯を15万トマンで売り、かなりの利益を得ました。
その後、マシュハドなどの絨毯産地のバザールに通い、バクチアリ絨毯を買い集め、それらを修復するためにテヘランに持ち込みました。
修復後は、同じ絨毯は1枚も売っていません。
きっと同じものは見つからないだろうと思ったからです。

バフラミ氏のコレクションは、800枚のトライバルラグで構成されています。
これらのトライバルラグは100年以上も前に製作されたもので、よく目にする絨毯とは明らかに異なっています。
彼はコレクションの中には二度と見ることのできないデザインもあると述べ、それが自らのコレクションと他人のコレクションとの違いだと考えています。
遊牧民の中には、洪水や地震といった自然災害によって壊滅した部族もあり、残されたのはこれらの絨毯だけです。 バクチアリ族(現代のバクチアリ絨毯はバクチアリ族が織ったものではない)やアバドチ族の村々では、様々な理由から絨毯を織らなくなり、彼らの織りの技術は途絶えてしまいました。 これらの地域の手織り絨毯は貴重な財産であり、私たちはこれらの絨毯のデザインや製法を次の世代に伝えていかなければなりません。

店の隅に積み上げられた古くて色褪せた絨毯は、一見すると価値がないようにも思えます。
しかし、アンティークのペルシャ絨毯に興味のある人は、これらの絨毯の価値が、その年代にあることをよく分かっているのです。
バフラミ氏は長年にわたり、新しいタイプのトライバルラグの発掘に尽力してきました。
そして、そのような絨毯の織り方を発見したことで、文化遺産への親しみを求める若い世代の渇望に応えています。
彼はコレクションの中から貴重な110点の絨毯を文化遺産として登録しました。
180年から200年も前のこれらの絨毯の中には、他に類を見ないものもあります。
トライバルラグは世界各地の主要オークションで高額で売買されることもありますが、イランではあまり値が付きません。
もしアメリカ人が所有していれば、10万ドルの値が付くかもしれません。
彼は若い世代の人たちに、この文化遺産の歴史的重要性を理解してもらうことこそが彼の願いなのです。

出典:ハムシャフリ紙

大学で古い絨毯の修理を教えるトライバルラグ・コレクターのバフラミ氏。
過去30年間にわたって彼が行ってきた仕事は錬金術にも似ています。

出典:ハムシャフリ紙

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