ペルシャ絨毯における太陽とライオンのモチーフの歴史
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ロンドンではイラン政府に対する抗議活動の参加者が、現イスラム共和国の国旗を王政時代の旧国旗に取り替える場面が見られました。
2026年1月10日、数百人が押しかけたイラン大使館前での出来事です。
ライオンと太陽が描かれた旧国旗は、1979年のイラン革命によりパフラヴィー朝が打倒されたことにより廃止されましたが、反体制派のシンボルとして息を吹き返しました。
この旗の起源は、イスラム化より前の古代ペルシャ時代にまで遡り、ライオンは王を、太陽はミトラ神を象徴しているとされています。
獅子と太陽の起源はメソポタミア文明のバビロニアの占星術での獅子座のシンボルに遡るとされます。
ライオンは多くの国々において、神話的かつ文化的な意味を持つシンボルになってきました。
古代エジプトでは、デンデラ神殿に「アヒ大王は太陽の獅子、北の空に昇る獅子、太陽を担う輝かしい神」と書かれていることなどから、中東では古くからライオンは太陽の象徴であったと考えられています。
イランでは、ライオンは太陽だけでなく糸杉などと組み合わせられることがあります。
紀元前20世紀後半の作例では、糸杉と8条の光線を持つ太陽を伴ったライオンが描かれており、ライオンの太腿にアーリア人の太陽が初めて描かれたことを示しています。
ペルシャ絨毯においても、太陽とライオンのモチーフの組み合わせは、力強さ、勇気、そして勝利の力強い象徴となっています。
ササン朝時代には、ライオンは王の威厳と権力を象徴しており、イランがイスラム化されるとと宗教指導者の地位と偉大さを表すものとなりました。
獅子と太陽のシンボルは13世紀に初めて登場し、カイホスロー2世が在位していたころのルーム・セルジューク朝のタマル・グルジュ・ハトゥンを表した1240年の貨幣に登場します。
この標章がイランの国旗に取り入れられたのはサファヴィー朝からで、イランのシンボルとして確立されました。
ライオンと太陽は社会、国家と宗教の2つの柱を象徴しており、イスラム教シーア派と結び付けられたようです。
アフシャル朝のシャーであるナーディル・シャーの紋章や旗は獅子と太陽をモチーフとしています。
カジャール朝になるとライオンはシャムシール(大きな反りのある剣)を持つようになり、上に王家を表す王冠が加えられました。
1808年にカジャール朝のファトフ・アリー・シャーによって、ペルシアに功績を残した外国人を称える獅子と太陽の勲章が制定されています。
1906年の憲法修正第5条では、国旗のライオンと太陽のモチーフは前足にサーベルを持ち、太陽を背景にしたライオンと制定しました。
このとき太陽の顔が削除されます。
さて、ペルシャ絨毯のライオンのモチーフは「ライオン・ギャッベ」として特に有名です。
ライオン・ギャッベはカシュガイやルリが製作する絨毯で、愛嬌のある表情が特徴。
織手の想像力が反映されており、インテリアに温もりとユーモア、そして力強い意味合いを添えてくれる人気の高いデザインです。
織り手による個性や遊び心が詰まった「一点もの」が多いので、気に入った表情やデザインを選ぶのが楽しくコレクターにも人気があります。
ちなみにイランのライオンは1963年に狩猟された1頭をもって絶滅したとされており、現在は文化や歴史の象徴としてのみ存在しています。
イスラエルへの軍事作戦名に「ライジング・ライオン(立ち上がるライオン)」(立ち上がるライオン)が使われたのは記憶に新しいところです。
ちなみにイランに生息していたライオンは「インド・ライオン」 (学名:Panthera leo persica)と呼ばれる種類で、アフリカに生息するアフリカ・ライオンとは違いがあります。
インド・ライオンは頭胴長140~195センチ、体重120~200キロとやや小柄で(アフリカ・ライオンは頭胴長170~250センチ、体重150~250キロ)、体色が薄く、体毛は密集していて雄のタテガミも荒く短いのが特徴です。
主に林の中に住み、単独で狩りをする点もアフリカライオンとは異なります。
野生のインド・ライオンは中東では既に絶滅しており、インド西部のグジャラート州にあるギル国立公園・野生動物保護区にのみ生息しています(2015年現在523頭)。
イランや中東での絶滅の原因は不明ですが、狩猟による乱獲、そして国の発展に伴う山林の消失のためと考えられているようです。

