ペルシャ絨毯の銘(サイン)の話
[画像:モハンマド・セーラフィアンの銘]
ペルシャ絨毯の愛好家なら誰もが知っているように、ペルシャ絨毯の中には銘(サイン)が織り込まれているものがあります。銘は絨毯がが作られた工房、絨毯を織った織手、製作年、産地、そして稀にそれらの2つ以上、場合によってはすべてを表すことがあります。
銘入りのペルシャ絨毯は品質が優れたものと考えられがちですが、実際はそうではありません。
確かにそれらの中には完璧な職人技、優れた素材、個性的で卓越したデザイン、そして信じられないほど見事な色の組み合わせの作品があります。
銘入りのペルシャ絨毯は主にナイン、タブリーズ、クム、イスファハンといった都市部で製作されていますが、現実にはクムやイスファハンのようにほぼ例外なく銘を織り込む産地もあります。
また、すべてが似通った絨毯を産出しているナインや、クム・シルクのコピー絨毯を製作しているザンジャンやマラゲでは、流通の過程で(悪意をもって)あとから付け加えられる事例を頻繁に見かけます。
銘は絨毯の最上部あるいは最下部の中央や、ボーダー内またはサブボーダー内にに入れられるのが一般的です(もちろん例外もあります)。
とはいえ、20世紀中頃までに製作されたペルシャ絨毯には銘の存在が意味を持つものもあります。
やたらと銘が入れられるようになったのは1980年代に入ってからで、それ以前のものに織り込まれることは稀でした。
イランの職人には日本の職人と共通する「職人気質」があり、職人はあくまで腕を見せるものであって、名を誇示するのは恥ずべきこととされていたからです。
19世紀後半にイランの都市部における絨毯産業が復興しますが、20世紀に入るとペルシャ絨毯のデザインは個性的になり始めました。
人気のデザインは盗用されることが多かったため、銘を入れることは、いわばデザインの特許を取得するようなものだったのです。
こうした事情は都市部に限ったことであり、農村部や部族ではまったく逆でした。
農村部の絨毯(ビレッジラグ)や部族の絨毯(トライバルラグ)は読み書きができない人々によって織られていました。
農民や遊牧民は、いくつかの数字と文字は認識することはできても、流暢に読み書きができる人はあまりいなかったのです。
義務教育制度が採り入れられるまで、農民や遊牧民には読み書きを学ぶ機会はありませんでした。
これはイランに限ったことではなく、ほとんどの手織絨毯の原産国にいえることです。
義務教育制度の導入が遅れたパキスタンなどでは、いまも問題になったままです。
農民や部族が製作した絨毯の中にも銘らしきものが織り込まれた絨毯は稀に存在しますが、それを読むのは困難な場合がよくあります。
そうした理由により、農村部の絨毯や部族の絨毯は基本的にに無銘です。
農民や遊牧民たちは、両親や親戚から学んだデザインを自分たちが作ることに誇りを持っていました。
それらの絨毯のデザインは意表をつくものであってはならず、コミュニティを意識するという考えが規範となっていたからです。
かつての日本でもそうでしたが、村社会は結束が強く保守的であるため、奇抜な絨毯を製作したり、派手に名前を入れたりすると、陰で噂が始まる可能性があったのでした。
以上が主に都市部の絨毯(シティラグ)だけに銘が織り込まれる理由です。
ただし、都市部の織師のすべてが読み書きできた訳ではないことを知っておかなければなりません。
文字を理解できる人口密度の高い大都市圏では、文盲率が低かったというだけです。
ほとんどの場合、銘は織師の名前ではないということも知っておくべきでしょう。
一般的なのは絨毯を織る資金を出した起業家、つまり絨毯作家の名前です。
○○の銘のある絨毯は○○本人が織ったものではなく、○○に雇われた××が織ったものであるということです。
銘はアラビア文字(ペルシャ語の文字)で織り込まれるのが普通で、一般的には家父長の名前です。
欧米でも有名な絨毯作家の作品の中には英文字が併記されたものもありますが、あまり見かけることはありません。

