物々交換されるペルシャ絨毯
一人の中年男性が細く折り畳んだ絨毯を肩に乗せ、ボイノルドの町にあるターミナルへの一本道を歩いていました。
2時間ほどをかけ、妻と娘たちが二、三ヶ月をかけて織った絨毯を運んで来たのです。
ターミナルに到着すると、彼はすぐに一軒の絨毯屋に向かいました。
持ち込まれた絨毯を見ている店主に、男性は店主の名を呼びながらこう尋ねます。
「もうお金がありません、お茶、砂糖、米、油、何と交換してくれますか?」と。
男性と店主は長い付き合いのようですが、取引を通じてお金の話が出て来ることはありませんでした。
この店では精緻に織られたシルク絨毯が、米、茶、油などと物々交換されています。
これは、イランとアフガニスタンの国境近くにあるヤケ・サウド村など、いくつかの村で製作されている絨毯についての話です。
ボイノルドの絨毯商は、昔から絨毯やキリムの代金として現金ではなく食料などの生活必需品を渡していましたが、それはいまも変わりません。
イランに対する経済制裁により、ペルシャ絨毯の輸出量が激減すると、彼らの立場はより強くなり、持ち込まれた絨毯にケチをつけるようにさえなったといいます。
絨毯屋から出て来た中年男性は、「ヤケ・サウド村で絨毯織りに携わっている村人たちの一部は仕事を辞めざるを得なかった。女たちは失業し、男たちは仕事を求めてテヘランへ行った」と語ります。
以前は絨毯織りに携わる男性の中には畜産の仕事を兼ねる者もいましたが、経済的事情により畜産の仕事は諦めざるを得ず、そのほとんどがテヘランへ出稼ぎに行くことを選んだそうです。
ヤケ・サウド村で絨毯織りに従事する人は僅か数百人でした。
しかし、こうした現状の中で、その数は更に減少しました。
高い値段で糸を購入しても、絨毯を織りで得らる利益はないからです。
中年男性は続けます、「絨毯屋は絨毯やキリムと引き換えに食べ物などを渡すが、奴はそれが高くつきすぎるとさえ考えている。そのくせシルク絨毯を高値で販売し、自分だけが儲けている。奴から絨毯の代金の代わりに渡される油やお茶などは、割に合わないほど少ないものだ。これなら絨毯など織らないほうがマシだよ」。
このような状況の中で、唯一の救いだったのが養蚕でした。
今年は養蚕が好調だったそうで、村人たちはシルクを売ったり、一部を染色して絨毯を織るために使用したりしました。
値上りを期待して一部を保存していたところ、運よくシルクの価格が上昇したそうです。
北ホラサン州手工芸組合の組合長であるホセイン・イザンロ氏によれば、現在、州内の店舗や倉庫にある絨毯の在庫は2.5倍以上に達しており、絨毯市場は完全に停滞しているといいます。
同氏は「現在、絨毯の取引は低迷しており、展示会は開催されず、買付業者も来ず、旅行者の往来もない。素材の価格の上昇と賃金の下落により、北ホラサン州内の絨毯織り職人の数は20%減少した。女性は農地で働き、男性は建築現場で働くようになった」と語ります。
イザンロ氏によると、北ホラサン州での絨毯の販売状況はキリムよりも悪いといいます。
この州の2万1000人の織手によって生産される絨毯とキリムの量は、年間36万平米であるとのことです。