ペルシャ絨毯を価格だけで判断してはいけない理由

ペルシャ絨毯を価格だけで判断してはいけない理由

ペルシャ絨毯を価格だけで判断してはいけない理由

[要3分]

「ペルシャ絨毯は高い」というのが世間一般に浸透しているイメージかもしれません。
実はペルシャ絨毯にはベルギー製やドイツ製などの機械織絨毯の高級品(機械織絨毯が高級という意味ではなく、機械織絨毯の中の高級品という意味です)よりも安いものも存在するのですが、そうした実用品的なペルシャ絨毯はわが国にはほとんど輸入されていないか、ギャッベのように本来の姿からは想像もできないような過度なイメージ作りと値付けがされているかのどちらかでしょう。
それゆえ世間には、ペルシャ絨毯=超高級絨毯=高い……と認識されているのだと思います。
もちろんペルシャ絨毯には何百万円はおろか、一千万円を超えるものもあるのは紛れもない事実です。
しかし、それがペルシャ絨毯のすべてではありません。
それでは、どうしてこれほどまでに値段が違ってくるのかについて解説してゆくことにします。

ペルシャ絨毯とはイランで製作された手織絨毯のことで、この「手織」というのがこの項の論点の核になります。
手織にせよ機械織にせよ製作には経費がかかる訳ですが、材料費についていえばそれほどの違いはありません。
機械織絨毯に用いられるレーヨン、プレプロピレンなどの化学繊維はイランでは手織絨毯には用いられませんので(かつてトルコには化学繊維を用いた「フロシュ」とよばれるカイセリ産の手織絨毯がありました)比較になりませんからこの際除外するとして、毛糸や絹糸、木綿糸の値段は国による物価の違いこそあれ、それほど変わるものではないでしょう。

それでは何が値段にそれほどまで影響するのかといえば、一にも二にも「製作に要する時間=人件費」です。
機械織であれば僅かな時間で完成する絨毯が手織だと何ヶ月あるいは何年もかかる訳で、そのあいだ絨毯作家は織子に日当を支払わなければなりません(一般的には週払で、イランでは休日となる金曜前日の木曜が給料日)。
織子が一日に結ぶことができるノットの数は平均で約5000個といわれていますから、緻密な織りの作品ともなれば膨大な日数を要する訳です。
100万ノットで1平米の機械織絨毯と手織絨毯があったとして(機械織絨毯に結目はありませんから、○○万ノットと表記するのは正しくないのですが……)、機械の性能によって違いは出てくるものの、機械織であれば製作に要するのはごく短時間。
ところが手織りとなると手織であれば一人の織子が一日に結べるノット数を5000個とすると、200日を要する計算になります。

初期の機械織絨毯の織機は縦糸を通すために横糸を繰り上げる作業ができなかったため、人間の手を借りていました(機械織は縦糸と横糸が手織とは逆になります。詳しくは【機械織絨毯との見分け方】をご参照ください)。
しかし現在では織機が改良され、そうした手間は必要なくなっています。
つまり、手織と機械織とでは製作にかかる手間が違い、それゆえに人件費が違ってくるという訳です。
絨毯製作にかかる費用の7割から8割が人件費といわれますから、製作日数の違いこそが機械織をも含めた絨毯の値段を決める最大の要素となるということです。
当然ながら、国による物価や賃金の違いも考慮せねばなりません。

さて、冒頭で述べたようにペルシャ絨毯には手頃な商品もたくさんあります。
映画や雑誌などを観ればわかるのですが、欧米の家庭にはペルシャ絨毯をはじめとする中近東の手織絨毯が敷かれています。
宮殿や豪邸はもちろんながら、そうではない中流の家庭にも敷かれているのを目にすることも多いはずです。
またイランにおいても、とてもお金持ちとはいえない家庭にもペルシャ絨毯が敷かれています。
俗に「ビレッジラグ」とよばれる農村部の絨毯や、「トライバルラグ」とよばれる部族民の絨毯は自家用として製作されるものも多く、都市の工房で製作される緻密な織りのシティーラグに比べると製作に要する日数は圧倒的に少なく済みます。
その典型がギャッベなのですが、本来こうした自家用として製作されたペルシャ絨毯はイランでは価値を見出されておらず、市場に出回ったとしてもあくまで「実用品」としての値段で取引されるケースが一般的で、それに価値を見出したのは欧米からイランにやってきたバイヤーたちでした。

イランにおいて欧米から輸入した織機を用いて機械織の絨毯が製作されるようになったのはごく最近になってからのことです。
実用に供される絨毯がビレッジラグやトライバルラグから機械織絨毯に変わったのは、二十数年ほど前から。
イランの経済成長は2000年頃から始まりますが、経済成長に比例して機械織絨毯の生産が増えてゆくとともに、反比例して手織絨毯の数は減ってゆきます。
バブル期の日本に同じく、土地の値段が高騰し建設ラッシュが起こると、多くの絨毯職人たちが製織刀を捨て建設現場に移りました。
当時、織子の日当は350円から450円でした。
建設現場で働けば1200円から1500円は貰えるとなると、それもいたし方ないでしょう。
また、IT化の波がイランにも押し寄せたことにより若者に魅力的な職場が増えたこと、アフガニスタンにおける内戦が収束し、安い労働力を提供していたアフガニスタンからの避難民が帰国したことなども理由です。

例をあげれば1990年代、イラン絨毯公社には約2万5000人の職人がいましたが、いまや2000人以下にまで減少しています。
末端の労働者だけでなく、イランでは富裕層に属する絨毯商の中にも金融業や不動産業に鞍替えする者が増えました。
そうして手織絨毯の生産は減少していったのですが、一方で技術の進化に伴い、より良質で安価な機械織絨毯が大量に生産されるようになり、実用目的の絨毯は手織から機械織へとシフトしていったのです。

かつては設備投資にお金がかかる機械の代わりを人間がやっていたと考えることもできるかもしれません。
需要と供給のバランスが崩れれば価格に変動が起こるのが市場原理です。
経済成長に伴う中流層以上の増大は内需を拡大し、ペルシャ絨毯に対する需要を増加させました。
ペルシャ絨毯は輸出用に生産されるものと思われがちです。
しかし、実際には国内需要も高いものなのです。
イラン絨毯公社はイランではじめて割賦販売を行ったことで知られていますが、これは国内の中流層に対してのものでした。

需要が高まる反面、供給量は減っているのですから価格の上昇が起こります。
それは織人についても同じで、職人が減少したことにより売手市場が買手市場を上回れば賃金を上げなければなりません。
そうした事情により、いまやペルシャ絨毯の現地価格は2000年頃の2倍以上にまで値上がりしています。
そうした現実があるものの、一般に考えられる理由には絨毯屋の姿勢にも大いに問題があったことを忘れてはなりません。
他のページでも言及しているように、架空の定価から大幅値引きで消費者の購買意欲を煽る商売が当たり前となっている絨毯業界です。

値引率を大きく見せるために現実にはあり得ないような定価を設定し、これまた常識では考えられないような70%OFFだの80%OFFだのといった「見せかけの値引」を用いてお得感を演出する……こうした詐欺まがいの商法が横行していることです。
あるテレビ番組に出演したイラン人絨毯商が普通のクム・シルクを指さして「コレハ1億円」などと話していたのを目にしたことがありますが、現代物のクム・シルクなら6平米で144万ノットの作品であっても2000万円を超えるものなどまずありません。
このようなことをしていれば、世間に「ペルシャ絨毯は高い」というイメージが浸透してしまうのは当然です。

欧米では人気の高い、価格的に手頃なローカル産地で製作されたペルシャ絨毯を輸入するところがわが国にはほとんどなかったことも理由でしょう。
いわゆる「誤魔化しがきく商品」で一発当てる……ジャパニーズ・ドリームを夢見て来日したイラン人たちが、利幅の少ない手頃な商品を本気で取り扱うはずはありません。
それは日本人にしても同様で、ペルシャ絨毯が好きだからではなく、バブルの余韻があった時代に儲かるからと業界入りした者が多いのですから結果は同じです。
「そんなことはない!」と憤る同業者も多いと思いますが、であるならば、なぜそんなに専門知識のレベルが低いのか、よく自問自答してもらいたいものです。

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