アケメネス朝期のペルシャ絨毯

アケメネス朝期のペルシャ絨毯

アケメネス朝期のペルシャ絨毯

[要2分]

ペルシャ絨毯はイランの芸術、文化の象徴です。
イラン人は絨毯織りの先駆者の一人と考えられており、時の移り変わりとともに創造性とセンスを磨きあげ、この敷物を世界有数の工芸品にまで成長させました。
その歴史は遥かなる昔に遡りますが、ペルシャ絨毯に関わる最初の記述は、ササン朝 (224~641年)の時代の中国の文献に見られます。

歴史学的な資料は、ペルシャ絨毯の使用がアケメネス朝期から一般的であったことを示しています。
しかし、ウールやシルク、木綿など、ペルシャ絨毯に使用される素材は時間の経過とともに腐蝕し、やがて消滅してしまうため、考古学者や歴史家がペルシャ絨毯の起源を特定することは困難、というより不可能になっていることを忘れてはなりません。
しかし、遺された文書によれば、アケメネス朝の宮殿には壮麗な絨毯が敷かれていたことを示しています。
アレキサンダー大王はアケメネス朝の首都であったパサルガダエでペルシャ絨毯を見て驚き、歓喜したと伝えられます。

セルジュク朝とイルハン朝の治世下、絨毯織りは貴重な芸術であり、収益性の高いビジネスとして盛んでした。
当時のモスクは貴重なペルシャ絨毯で覆われていたといいます。
多くの歴史的な引用が、この歴史的芸術の古さと独創性を証明しています。
たとえば、クセノフォンの著書には「アケメネス朝の宮廷には幅の広い絨毯が敷かれていたが、朽ちたり他の絨毯に取り替えられたりすることが何度かあった」と記されています。
また、ヨーロッパの考古学者ケネス・クローシャもこのことについて「古代イランの歴史では、アレクサンドリアによってペルセポリスが放火され、豪華で壮麗なアケメネス朝の絨毯がその火で焼かれた時代に行き着いた」と書いています。

ソ連の考古学者であったセルゲイ ・ルデンコは「アレクサンダーは玉座の前に細かく織られた厚い絨毯を敷いた」と記していますが、これはあくまで推測に過ぎません。
ルデンコといえは、ほぼ完全な形で現存する世界最古の絨毯として知られるパジリク絨毯を発見したことで有名です。
彼は1947年から1349年にかけて、スキタイ首長の墳墓の中からこの絨毯を見つけました。
パジリク絨毯はウールで作られており、一辺の長さが約2メートルの正方形です。

パジリク絨毯は、花柄の縁取りと、騎手、草を食むヘラジカ、鷲の頭とライオンの胴体を持つ神話上の獣によって装飾されています。
ルデンコは、絨毯の構造とそのデザインを調べた後、この絨毯に使用されているモチーフとペルセポリスやニネベの遺跡のレリーフが非常に類似していることに気づきました。
研究者の中には、この絨毯がアルケサス朝パルティアもしくはメディア王国で製作されたと信じている者がいます。

しかし、パジリク絨毯がイランで製作されたという確証はありません。
むしろ、イランの学者たちは我田引水的に考え過ぎるきらいがあるように思えます。
これは彼らを貶している訳ではありません。
桃太郎が岡山起源か静岡起源かという議論と同じだと言いたいだけです。
パジリク絨毯のことはさておき、アケメネス朝の時代からペルシャ絨毯が製作されていたということだけは、前述した記録から見て、ほぼ間違いないでしょう。

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