ギャッベの存在意義とは?
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1990年代から、わが国においてはギャッベ、とりわけモダン・ギャッベが人気となりました。
現代人の趣向に合わせたシンプルで愛らしいデザインと天然染料ならではの素朴な色彩、そして手を出しやすい手頃な価格とが若い世代の人たちを中心に人気を博し、ギャッベ・ブームとも言える現象を創り出したのです。
それから20年余が経過し、ブームに翳りが見え始めたとはいえ、いまだギャッベの人気は高いようです。
もとは部族民が実用として使用する単なる敷物、いわば消耗品に近い存在であったギャッベが現代人の心を掴んだ理由は何でしょうか?
ここでは社会を取り巻く様々な背景にも触れながら、ギャッベの存在意義について考察してみようと思います。
そもそもギャッベはイラン南西部で遊牧生活を営んでいたカシュガイやルリ、その亜族が製作する絨毯でした。
「でした」と過去形にしたのは、これらのギャッベが現代のギャッベとはまったく性質を異にしているからです。
カシュガイやルリはギャッベだけを製作している訳ではありません。
世間ではギャッベがあたかも「財産」として製作されたかのように誤解されていますが、その役割を果たしたのはメイン・ラグと呼ばれる精緻な織りとデザインの絨毯であり、ギャッベはあくまで普段使いに供するための「実用品」だったのです。
とはいえ、ギャッベは遊牧民の生活に欠かせないものであったのは間違いありません。。
厳しい気候条件の中で生活する彼らは、地面からの冷気を遮るためにこれを使用しました。
ギャッベは床代わりに地面に敷かれ、テント生活に快適さを提供したのです。
自給自足が生活の基本である遊牧民は、自らが飼育する羊のウールを糸に紡ぎ、周辺の草花から染料を得て、樹木の枝を組み合わせた織機を用いて絨毯を製作しました。
手間のかかるメイン・ラグと比べると、ギャッベの製作にはそれほど労力を要しません。
また、平織のキリム などに比べるとギャッベは耐久性にも優れていました。
手軽に製作できて耐久性にも富んだギャッベは、遊牧民の生活に密着したものだった訳です。
そんなギャッベですから、もちろん手の込んだものではありません。
ギャッベのデザインは、メインラグに比べると随分と簡素化されたものになっています。
しかしシンプルなデザインではあっても、その中にはメインラグ同様に文化的な意味が込められていました。
カシュガイやルリの女性たちは、自らの生活や自然、信仰を表現した文様をギャッベにも織り込んだのです。
ギャッベに用いられたデザインは草木や動物、幾何学的なパターンなどで、これらのデザインは自然との共生の象徴とも言えます。
すなわち、ギャッベの文様は単なるデザインとしての要素を超えた文化的なアイデンティティとして、物語や価値観を表す重要なアートフォームでもあるということです。
こうしたギャッベを通じて形成されるコミュニティの結束も、その存在を意義あるものにしています。
ギャッベは家族や親族の共同作業によって製作されることがありました。
技術やデザインを共有しながらこれを製作する場は、一族の強い絆を生み出す場でもあったと言えます。
つまり、ギャッベの製作は遊牧民の伝統や技術を次世代へと伝承する機会でもあり、文化の継続性を支える側面となってきた訳です。
ギャッベの製作は単純な労働的作業ではなく、コミュニティや文化を強化するための儀式的意味を持っていたと言えるでしょう。
ギャッベが果たした役割は、遊牧民文化の伝承だけではありません。
その文化的価値は所有する人々にも影響を与え、遊牧民のアイデンティティを知り、体感するための教材となっています。
家庭でギャッベを使用することは、家族や文化に対する愛着を深めることになるでしょう。
ギャッベの上で家族や友人と語らう時間は、思い出を形成し、より一層の関係を築くことに繋がる筈です。
遊牧民の女性たちの思いは、遥かなる時空を超えて、極東のいまに生きる私たちにも届いているのです。
ギャッベはまた、新しい価値やトレンドが生まれるきっかけともなり得ます。
手作りの伝統工芸品が見直される中で、ギャッベはそのデザインや色彩が新たな流行と結びつき、インテリアデザインの一部として再評価されています。
クリエイティブなアプローチを求める現代のデザイナーたちは、ギャッベを斬新な発想で取り入れ、その魅力をこれまでにはない視点から紹介しているのです。
いまやギャッベは、未来のトレンドにも影響を与える存在として用いられるようになっています。
ギャッベの中にはブランド名や、もっともらしい商品名が付され高額で販売されているものがあります。
しかしギャッベは本来、そうしたものとはまったく無縁のものです。
冒頭で本来のギャッベとは現代のギャッベとは、まったく性質を異にしていると述べました。
金儲けのためにギャッベの存在意義を無理矢理に捻じ曲げた絨毯商たちの行いは、ギャッベの存在意義そのものを否定するものです。
一部の絨毯屋の策略に陥ってギャッベに大枚を叩く前に、こうした事実を知っておく必要があるでしょう。
ギャッベはギャッベ以外の何者でもありません。
決してメインラグにはなり得ないのです。
日常生活の中でギャッベを楽しむことは、遊牧民の文化や歴史を尊重し、それを具現する機会となるでしょう。
ギャッベは私たちの人生を彩る重要な役割を果たすのです。
ギャッベの持つ多面的な魅力を理解することにより、ブランド名や商品名ではない真の価値が見えてきます。
それは、現代社会においても失われることのない、伝統的な文化の継承と人間関係の構築、新たな価値観の創出であり、ギャッベの価値、すなわち存在意義はまさにここにあるのです。

