ギャッベは芸術品などではない
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モダン・ギャッベを「芸術品」と称し、高値で販売しているペルシャ絨毯業者がいます。
彼らは口を揃えて……(モダン)ギャッベは遊牧民が移動生活を送りながら、自らで採取した素材と(天然)染料を使い、自らの願いを込めて、自らが思い描いたデザインで製作する……と説明します。
しかし、それがすべて「嘘」であることに気づく消費者はほとんどいないでしょう。
絨毯業者であればモダン・ギャッベが実際どのようにして製作されているかを知らない者はいないはずです。
もしも、それを信じて販売しているならば、明らかにプロ失格です。
勉強不足を恥じなければなりません。
人様からお金をもらう以上、知らなかったでは済まされないのがプロの世界。
モダン・ギャッベの現実を知りながら嘘の説明を並べて金銭を得ることを、世間では「詐欺」と言うのです。
ギャッベとは本来、カシュガイやルリが「普段使い」として製作した絨毯です。
安価な機械織絨毯が出回る前はギャッベがこれの代わりでした。
いわば消耗品として製作され、雑破に使用されたのがギャッベということです。
アートとして取引されたのは彼らが製作するメインラグ、すなわち財産的価値を持つものとして製作された緻密な織りの複雑なデザインを持つ絨毯で、決してギャッベではないということを知っておくべきでしょう。
古い時代の日用品が高値で販売されるのは珍しいことではありません。
それらにはコレクターが認める「希少価値」があるからです。
事実、ギャッベでも19世紀に製作されたものなどは高値で取引されるのが普通ですが、それはギャッベが消耗品であったことを理由としています。
消耗品であったからこそ現存するものが少なく、メインラグよりも希少であるからです。
こうした事情を知っておいてください。
ここで芸術品の定義について触れておきましょう。
『デジタル大辞泉』によれば、芸術品とは「芸術家が独自の様式、技能によって制作したもの」。
『日本国語大辞典』では「芸術家が独自の様式、技能によって制作したもの」とあります。
つまり、芸術品とは芸術家が独自の様式や技能によって制作した、芸術的な価値を持つ作品のことです。
平たく言えば、鑑賞を主な目的として制作されたものと言ってよいでしょう。
ギャッベは手織で製作されますが、その目的はあくまで実用です。
日常生活に不可欠なものであり、実用性を追求する中で生まれたものです。
美的な価値や感情的な表現が求められる芸術品とは、評価基準がまったく異なります。
これを理解せずにギャッベを芸術品と見なすことは、彼らの文化や価値観を誤解することに繋がるでしょう。
同じカシュガイやルリが製作する絨毯でも、芸術的価値が高く鑑賞を目的とするのがメインラグ、暮らしの道具として作られるのがギャッベであるということを理解しておかなければなりません。
ギャッベを芸術品とするべきではないもう一つの理由は、その製作の過程にあります。
モダン・ギャッベはデザイナーが作成した意匠図に基づき、絨毯商に雇われた織師(部族出身の定住民やイラン人農民)がノッティングした後、工場に集められてシャーリングと洗浄、仕上が行われます。
遊牧民が移動生活を送りながら製作していたのは昔の話で、いまはこのようにしてギャッベは製作されているのです。
かつてギャッベのデザインや製作技法は、地域文化や生活様式に深く根ざしていました。
素朴さと温かみのあるデザインは、その実用的な側面と豊かな歴史的背景を有していたのです。
商売のためにギャッベを芸術品などとこじつけるのではなく、実生活や文化の中での本来の役割に目を向かせるべきだと考えます。
Z社のギャッベのドザールを70万円で購入したという方がいらっしゃいました。
同社のスタンプが裏に押されているだけで、何の変哲もない普通のギャッベです。
本来なら、いくら高くても25万円を超えることはないようなものですが、購入された方がおっしゃるにはギャッベは芸術品だから、こういう値段になると説明されたとのことでした。
勿体ないので使用するのはやめて、大切に仕舞ってあるとのことです。
ギャッベを芸術品に祭りあげることは、それが持つ温かみや親しみやすさを消費者から遠ざける行為でもあります。
遊牧民の家庭の温もりを伝えるギャッベは、居住空間にごく自然に溶け込みます。
時代やスタイルを問わず、家庭の中心に据えて使われることが多いです。
芸術品として無理に距離を置かせるのではなく、家族と共に時間を過ごすアイテムとして親しみのある存在でいさせることこそが、ギャッベと消費者の仲介役たる絨毯商の役目ではないでしょうか?
決して正義漢を演じるつもりはありません。
弊社が声をあげるのは、ギャッベの本質というものが誤って伝播してゆく可能性を危惧しているのです。
ギャッベは単なる敷物ではなく、部族民の生活や思想と深く結びついているものであるがゆえ、その実用性を理解することで真の価値が見出されるのです。
実用品であるギャッベは生活の中でこそ生かされるべきものです。
芸術品などという絨毯商の虚言に惑わされることなく、ギャッベのある生活を気軽に楽しんでいただけたらと思います。

