カジャール朝期のペルシャ絨毯産業
[画像:カジャール朝期の絨毯商たち]
カジャール朝(1789~1925年)の時代、イランの絨毯産業は特に盛況を極め、国内外での評価が高まる一方で、様々な変革や課題にも直面しました。
最初に、カジャール朝の成立背景とその国際状況を理解することで、絨毯産業の発展の基盤を考える必要があります。
カジャール朝は、ロシアやアフガニスタンとの外交問題を抱える中で、経済基盤の強化が急務でした。
そのため、国際貿易を支えるための品々が求められ、特にペルシャ絨毯はその一翼を担いました。
『天然染色によるペルシャ絨毯の取引』と題した論文によれば、カジャール朝の初期にはサファヴィー朝の消滅とともに衰退した絨毯産業は依然として復活の兆しを見せず、産業の中心は農村部と部族民たちでした。
都市部においてはホラサンとクルディスタン、ケルマンの一部を除くと絨毯工房がほぼ消滅していたため、都市部の絨毯については18世紀以前に製作された古い絨毯が主に取引されていたに過ぎなかったのです。
ナセル・ウッディン・シャー(1848~1896年)とムザッファル・ウッディン・シャー(1896年~1907年)の時代には絨毯貿易が増加傾向にあったものの、政権の終焉とともに減少に転じます。
この時期、産業革命がもたらした機械の普及はイランの手工芸品にも大きな打撃を与えました。
しかし、絨毯についてはそれほどでもなく、ペルシャ絨毯の需要は衰えた訳ではありませんでした。
とはいえ再生産のできない古い絨毯は次第に減ってゆきます。
19世紀末には経済の停滞が始まり、地場産業の生産は大幅に減少しました。
イギリスとロシアの半植民地となっていたイランでは対外貿易の自由も失われてしまいました。
この政策は国内経済の発展に大きな障壁を築き、イランは危機的な状況に陥ることとなります。
また、蚕の疫病によってイランの主要な輸出品である絹製品が枯渇しました。
『天然染色による絨毯の取引』と題した論文では、カジャール時代の絨毯の取引は質素なテントの下で織られた絨毯は、国内だけでなく裕福な外国人にも遺贈されましたことが記されています。
こうした状況を受け、絹糸の輸出を生業としていたタブリーズの商人たちは、絹製品に代わる商品として古い絨毯に代わる新しいペルシャ絨毯を製作することを思い付きます。
タブリーズ商人たちはイラン各地に赴き、絨毯工房が次々と開設しました。
欧米の貿易商たちも同じことを考えます。
いくつかの国がその技術を学ぼうと試みたものの、ペルシャ絨毯はその品質や製作コストが他国に比べて高価であり、質感や安定性の面でもイラン特有の素材や技術が求められていたからです。
1868年にスイスに本社を置くジーグラー商会がイラン中西部のスルタナバードとハマダンに大規模な絨毯工房を開設しました。
それを皮切りにイギリス、アメリカ、イタリアなどの企業も次々とイランに進出し、絨毯製作を始めました。
こうしてイランの絨毯産業は再び盛況を取り戻しましたのです。
この時代の絨毯製作の技術は伝統的な手法を基にしつつも、ヨーロッパの影響を受けた新しいデザインやスタイルが生しました。
特にケルマン、マシュハド、カシャーンといった都市は、各々独自の特色ある絨毯を生産する重要な中心地となります。
ケルマンの絨毯はショールから採用したデザインが特徴であり、マシュハドの絨毯は16世紀なデザインと暗めの色使いが特徴でした。
一方、カシャーンは、より複雑なパターンと絵画的な要素を取り入れた絨毯を生み出し、その美しさは世界的にも評価されました。
これらの絨毯は北西回廊を経由してイスタンブールに運ばれ、そこからヨーロッパへと輸出されてゆきました。
20世紀初頭には絨毯産業は復興し、国際市場での認知度も高まりました。
特に、1920年代以降には新しい産地が登場し、ペルシャ絨毯は再び世界の舞台で注目される存在へと成長したのです。
カジャール朝期の絨毯産業は、経済、文化、政治の交差点に位置し、その変遷はイランの歴史や社会状況を反映したものでした。
こうした歴史を学ぶことで、私たちはペルシャ絨毯の美しさや技術だけでなく、時代と共に変わりゆく社会の複雑さを理解し、イラン文化への深い洞察を得ることができるようになります。
カジャール朝の絨毯産業はその後の発展に繋がる土壌を形成しており、今日のイランにおける絨毯産業の基盤を築いたと言えるでしょう。
こうした側面を踏まえると、カジャール朝期の絨毯産業は経済的な価値を超えた、文化的な資産としての重要性を持っていたことが明らかになるのです。
【カジャール朝期のヘリズ産シルク絨毯】
このヘリズ絨毯は19世紀初頭の作とされます。
パイルはシルクで、一部に金属糸が使用されている珍しいものです。
ボーダーのカルトゥーシュには注文者であるホセインという人物を讃える「絨毯は注文者の影に隠れるほど近くに置かれた時にのみ輝く」という詩が、左右下の2つの小さなカルトゥーシュには「アマレ」「ラジャブ」(ラジャブ作)と織り込まれています。
この絨毯のデザインは19世紀後半には大型化され、ヘリズ絨毯で最も人気のあるデザインとなりました。
19世紀末には、このデザインを発展させた、中央に先端の尖ったメダリオンを置き、それから4本の蔓が伸びて鋸歯状のパルメットに繋がるデザインが、シルク絨毯だけでなくウール絨毯にも用いられるようになります。

