筋金入りのトライバルラグ・コレクター

筋金入りのトライバルラグ・コレクター

筋金入りのトライバルラグ・コレクター

[第 話]

2013年、17世紀イランの宮廷全盛期に製作されたクラーク・サイクルリーフ絨毯が、サザビーズで予想価格の6倍にあたる約32億円で落札され、絨毯としては史上最高額となりました。
2010年にはクリスティーズが、同じく17世紀の青い花瓶文様絨毯を約7億2000万円で売却しています。
かつてオスマン帝国のスルタン、ヨーロッパの貴族、アメリカの大富豪が夢中になったオリエント絨毯は、10年前には3億円を超えることはほとんどありませんでした。
現在、イランやトルコ、コーカサスで製作された15世紀から18世紀の絨毯は、敷物というよりも芸術品として、きわめて高値にて取引されています。
世界中のコレクターや財団のほか、中東やヨーロッパ各地に新たな開設された美術館が、この動きを加速させています。

世界中の現代美術のコレクターたちは壁に飾られた抽象的あるいは幾何学的な現代絵画を引き立てるために、アンティーク絨毯を購入しています。
そして、誰もが大幅な価値の上昇が期待される、これまであまり脚光を浴びることのなかったニッチなアイテムに注目しています。
世界の美術市場が回復するにつれ、コレクターたちは再び市場で新たなコレクションの対象を探し求めているのです。
イギリスの風景画や金張りの置時計など、かつて美術品コレクターからは敬遠されていた古美術品が、新たな人気商品として浮上しています。
好況時に購入した現代美術は、不況になると価値が急落するだけでした。
市場全体の上昇に伴って価値が上昇する可能性のある、よりマイナーな作品が人気になりつつあります。
イギリスの絨毯研究家であったジョン・トンプソンは、「絨毯は通常、宮廷の工房で作られたもの、町や村で作られたもの、遊牧民によって作られたものに分類されますが、どれもが価格が上昇する傾向にある」と述べていました。

15世紀から16世紀に宮廷の工房で作られたパステル調の植物模様が特徴的なペルシャ絨毯は、印象派美術のコレクターに特に人気があり、価格は7億円前後にまで高騰しています。
富裕層は何世紀にもわたってペルシャ絨毯をはじめとするオリエント絨毯を収集してきました。
ヘンリー8世は数百枚ものトルコ絨毯を所有していたし、ドイツの画家ハンス・ホルバイン、アメリカの海運王コーネリアス・ヴァンダービルト、オーストリアの心理学者ジークムント・フロイトもペルシャ絨毯の愛好家でした。
最近では、最高級のアンティーク絨毯が敷物というよりも芸術作品のように取り扱われています。
高級絨毯販売業者の中には、平米単位で価格を設定するシステムを避けているところもあります。
なぜなら、コレクターは宮殿の床を覆うような大きなものよりも小さな礼拝用絨毯や珍しい絨毯の断片に高い代金を支払うからです。
オークションの落札相場によると、最近は傷みがあったり平凡だったりする作品の売れ行きは鈍化しているものの、現存する名品の価値は急激に上昇しているようです。
ロサンゼルス現代美術館の創設者でテレビプロデューサーのダグラス・クレイマー氏のような現代アートのコレクターの多くは、宝石のような幾何学模様が散りばめられたトライバルラグに注目しています。

カリフォルニア州オークランド在住の医療機器メーカー経営者のジョン・シュライバー氏は、世界一のアンティーク・トライバルラグのコレクションを完成させることを目指しています。
過去30年間、彼はイアン・ベネット著『オリエンタルラグ』(1981年刊)に記録されているコーカサスの85の部族によって200年前に製作されたトライバルラグを探し求めてきました。
これまでシュライバー氏は、コーカサスを代表する博物館級の84種類のトライバルラグに、一枚あたり最大で22万5000ドルを支払っています。
ワシントン繊維博物館の学芸員らは、コーカサスを代表するトライバルラグの最高傑作を見つけるというシュライバー氏の目標に近づいた絨毯コレクターはほとんどいないと言います。
繊維博物館の創設者であるジョージ・ヒューイット・マイヤーズは、1900年代初頭をコーカサスのトライバルラグの収集に費やしましたが、入手したものは85種類に満たなかったと学芸員のサムル・ベルガー・クロディ氏は語りました。
ニューヨークのメトロポリタン美術館には48種類のコーカサス絨毯が集められ、ボストン美術館には約20種類が所蔵されているだけです。

シュライバー氏のことは、すでにアメリカの数人の絨毯コレクターに知れ渡っています。
マサチューセッツ州リンカーンのコレクター、マーク・ホプキンス氏は、シュライバー氏がニッチな分野に焦点を当てていることを称賛する一方、彼がしていることはは「切手収集」だと評しました。
ニューヨークのハジ・ババ・クラブの元会長、カート・ムンカシ氏は、以前、シュライバー氏と同様にトルクメンの絨毯を集めようとしたが、それは不可能であるとの結論に至ったと語ります。
シュライバー氏は、一部のコレクターは早々に諦めてしまうが、「私が欲しいもののために競争するつもりだ」と意欲を示しています。
シュライバー氏はもじゃもじゃの白髪頭のひょろっとした男性で、現代美術市場の動向にはほとんど関心を払っていません。
その代わりに、彼は有名工房のシティラグよりも価値が低い、サブカルチャーを極める道を選びました。
絨毯コレクターはニューヨークのハジ・ババ・クラブのようなグループに集うことが多いのですが、シュライバー氏はほとんど単独で買物をしており、未収集リストにある絨毯を手に入れるために、世界中のディーラーのネットワークを頼りにしています。
いままでのところ、彼はコレクションに少なくとも200万ドルを費やしました。

オークランドの絨毯商、ヤン・デービッド・ウィニッツ氏がシュライバー邸を訪問したとき、2人は家の中を「靴を脱いで」歩き回りました。
なぜなら、ほぼすべての床が150年以上前に製作されたトライバルラグで覆われていたからです。
シュライバー氏の13歳の息子の部屋の床には、推定1万8000ドル相当のトライバルラグが敷かれていました。
タペストリーのように壁に掛けられたものもあり、孔雀や象形文字、昔のビデオゲームのキャラクターのような文様まで、様々なものを織り出したカラフルなトライバルラグが家中を占拠していました。
スコットランドのタータンチェックやナバホ族のブランケットと同様、アンティーク絨毯は、古(いにしえ)の人々の生活や信仰を推察する手がかりを与えてくれます。
ソビエトの考古学者であったルデンコは1949年に南シベリアの凍った墓から紀元前4世紀から5世紀のものとされる絨毯を発見しました。
やがて絨毯織りの文化はモロッコから日本にまで広がり、織手たる女性は、自家用として、ときには販売用として、長い月日をかけて1枚の作品を仕上げました。
また、オスマン帝国の統治者も精巧な敷物工房を建設し、労働者はそれぞれ海の巻貝とコチニール貝殻虫を粉砕して紫とピンクの染料を作りました。
貴族のコレクターは長い間、ペルシャ絨毯工房で作られた絨毯を買い求めてきましたが、コーカサスのトライバルラグは、1960年代以降、特にアメリカ、イタリア、ドイツのコレクターの間で着実に人気を高めています。

最も人気のあるコーカサスのトライバルラグは、18世紀から 19 世紀にかけて、かつてアルメニア、ジョージア、アゼルバイジャンの草原や山々に居住していた数十の遊牧系部族によって製作されています。
それらの特徴的な色はゼラニウムレッドとインディゴブルーで、そのデザインには幸運のシンボルや鶏、カーネーション、斜めのストライプなど、遊び心のある文様が織り出されています。
2007年7月、とあるコレクターが、イーグル・カザックと呼ばれる幅約150センチのコーカサス絨毯をフィラデルフィアのオークション会社フリーマンから34万1625ドルで購入しました。
落札予想価格は2万5000ドルが上限でした。
クリスティーズの絨毯部門の責任者であるウィリアム・ロビンソン氏は、「ソビエトによるコーカサスの支配と同化政策が遊牧民の生活とトライバルラグの質に大きな打撃を与えたため、コレクターは1900年以降に織られたコーカサスの絨毯を敬遠することが多い」と語ります。

ニューヨークで育ったシュライバー氏は、祖母が祖国であるドイツから持ち帰った6枚のコーカサスのトライバルラグに織り出された文様と色彩に魅了されました。
エルサレムの大学で医学を学んでいたとき、彼はロサンゼルス・メイヤー・イスラム美術博物館の学芸員と交流を深め、彼と同じくペルシャ絨毯とトルコ絨毯に夢中になりました。
1977年にサンフランシスコの丘の外に定住するまでに、ボヘミアンスタイルが人気となり、ビジャーからラバーに至るまで、あらゆるスタイルや名称のアンティークのペルシャ絨毯を購入し始めました。
彼が完全なコーカサスのトライバルラグの名簿を取得するという考えを思いついたのは1990年代初頭で、そのときすでに25種類のカザック、クバ、シルヴァンのトライバルラグを持っていることに気づきました。
近くに住むディーラーであるウィニッツ氏は、チェックリストを作成し、見つかったトライバルラグがあれば提供することを申し出ました。

ウィニッツ氏は「以前から、これらは神からの授かり物だと考えていたが、シュライバー氏のコレクションが60枚を超えてからは、見つけるのが難しくなった」と語ります。
現在のイランの南国境近くにあるカラバグのような一部のコーカサスの部族は、様々なデザインの絨毯を外国人に販売していましたが、アクスタファと呼ばれる扇尾鳥をモチーフにした絨毯を作っていたのはシルヴァンだけでした。
ウィニッツ氏はミラノ、ミュンヘン、イスタンブールのコレクターたちに目を向けました。
3年間に渡るやり取りの後、彼はシカゴのコレクターが所有するクラウドバンド・カザックを17世紀のトルコ絨毯の断片と交換しました。
種の鞘のような文様が点在する柔らかな色調のマラサリ・シルヴァンはウィニッツ氏自身のコレクションからのもので、南アフリカのコレクターが所有していたスター・カザックはトルコ絨毯の断片と交換されました。
それ以降、ヒットはありません。
シュライバー氏はいまでも、中央の渦巻き状の四芒星形が特徴的なウィンドミル・カザックを探しています。

前述した『オリエンタル・ラグ』によると、かつてグルジアの首都トビリシの近くに住んでいたカザフ人が1800年代にウィンドミル・スタイルを広めたとされます。
シュライバー氏は、個人の手に渡ったウィンドミル・カザックは6枚しか知らないと言います。
そのうち2枚がドイツに、2枚がイタリアに、そして2枚がアメリカにあるそうです。
彼は、「2人のアメリカのコレクターは手放さないだろうから、ヨーロッパのコレクターから譲り受ける方法を思案している」と述べつつ、岩だらけの山岳地帯を歩いて探し回るのは無駄だと断じます。
なぜなら、まだそこに残っているカザフ人は冷戦直後に古い絨毯を売り払い、以後、絨毯製作をほとんどしなくなったからです。

シュライバー氏は、コーカサスのトライバルラグのコレクションを完成させたときに感じる幸福感を想像していると言います。
彼は、それらをどこかに展示するかもしれないし、展示しないかもしれません。
シュライバー氏の子供たちは彼のコレクションを楽しんでいますが、将来コレクションをいまの状態のまま保管できるかどうかも分かりません。
彼は気を紛らせるために新たなコレクションを始めました。
「それはランナーだよ」と、廊下に積み重ねられた細長い絨毯の山を指差しながら、「いま狂ったように集めている」と語ります。

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