ペルシャ絨毯が日本に普及したのはいつ頃なのか?
[第 話]
ペルシャ絨毯が日本に普及したのは明治時代以降のことです。
それまでも南蛮貿易によりペルシャ絨毯が日本にもたらされることはありましたが、それを所有することができたのは、きわめて少数の豪商や大名に限られていました。
19世紀後半の明治時代になると、日本は開国政策の一環として欧米諸国との交流が進み、外交使節団や留学生が派遣されるようになりました。
これにより、日本は世界各国の文化や工芸品と出会う機会が増え、異国の美術品に対する関心が高まりました。
ペルシャ絨毯は、その繊細な織り技術や美しいデザイン、豊かな色彩から、日本の美意識に響く要素を持っていました。
明治時代後半から大正時代にかけて、外交使節団や留学生がペルシャやインドを訪れた際に、ペルシャ絨毯を贈り物や購入品として持ち帰ることがありました。
これらの絨毯は、日本の芸術家や文化人の間で高く評価され、コレクションとして保管されたり、美術品として展示されたりしたのです。
とはいえ、一般庶民がペルシャ絨毯に接することなど、まずありませんでした。
ペルシャ絨毯の存在が一般に知れ渡るのは1970年代後半になってからのことです。
三越が本格的にペルシャ絨毯の輸入を始め、三越と東宝の合作映画『燃える秋』が公開されたことにより、ペルシャ絨毯は庶民の知るところとなりました。
日本のバブル期(1986年から1991年ごろ)は、経済的な繁栄や高度消費社会が特徴であり、豪華で高価なアートや美術品への関心も高まった時期です。
この時期、ペルシャ絨毯も日本で高い人気を博しました。
バブル期には、一部の富裕層や企業幹部が高額な美術品や工芸品を購入し、贅沢な生活を楽しむ傾向が見られました。
ペルシャ絨毯は、その高い品質、美しいデザイン、希少性から、高額な価格で取引されることがあり、バブル期の富裕層の間で人気を集めます。
日本国内でもペルシャ絨毯の需要が高まり、専門店や輸入業者が設立され、多くの人々がペルシャ絨毯を手に入れるようになりました。
ペルシャ絨毯は、その美しさや高い品質から、日本の住宅や茶室などで床に敷かれる豪華な装飾品としても人気を博したのです。
特に、希少価値の高いアンティークのペルシャ絨毯や、繊細な手織り技術を持つ絨毯が注目され、投資やコレクションの対象として購入されることがありました。
また、インテリアデザインやラグジュアリーな空間演出において、ペルシャ絨毯が使用されることも一般的になりました。
バブル崩壊後、経済の状況が変化し、ペルシャ絨毯市場も影響を受けました。
需要が減少し、価格も下落するなどの影響が見られましたが、一方で、ペルシャ絨毯の魅力や価値を理解する愛好家やコレクターたちも増えました。
現在では、バブル期の流行に左右されることなく、ペルシャ絨毯は日本のインテリアやアート市場で一定の人気を保ち続けています。
日本の文化や美意識とも調和するペルシャ絨毯は、多くの人々に愛され続けているのです。