稀代の絨毯「贋」作家|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

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今回とりあげるのは絨毯作家ではなく絨毯「贋」作家です。

稀代の贋作家といえばフェルメールの贋作家であったハン・ファン・メーヘレンが思い浮かびます。

オランダの画家であったメーヘレンはフェルメールの画風を徹底的に研究。

独創的かつ巧妙な技法を駆使して学者や美術館の学芸員、更にはナチス・ドイツでヒトラーに次ぐナンバー2であったヘルマン・ゲーリング国家元帥をも欺いたことは有名です。

第二次世界大戦後、ナチスにオランダの至宝を売り渡した国賊として捕らえられた彼が自らの贋作作りを告白するまで、それらが贋作であることに気づく者は誰一人としていませんでした。

メーヘレンが制作したフェルメールの贋作『エマオの食事』(ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵)

メーヘレンが制作したフェルメールの贋作『エマオの食事』(ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵)

 

絵画に限らず美術工芸品の類には必ずや贋作の存在が付き纏います。

それは絨毯とて例外ではありません。

あまり知られていないことですが、実は絨毯についてもメーヘレン顔負けの稀代の贋作家がいました。

贋作とはいっても、現在市場に溢れている有名工房の偽サインを付け加えたようなセコいものではありません。

彼が製作した贋作は多くの博物館・美術館や一流オークションハウス、有名コレクターやオリエント絨毯の研究者の眼さえも欺くほどに精巧なものだったのです。

チュードックの贋作工房(1937年)

チュードックの贋作工房(1937年)

 

その贋作家の名はセオドア・チュードックといいます。

チュードックは1888年、トランシルバニアのクルージュで生まれたルーマニア人。

第一次世界大戦後、彼はブラショフに移住して絨毯の修理工房を開設します。

この頃、戦時経済から平和時の経済に移行した米国では大衆消費財の導入が進み、空前の活況を迎えました。

いわゆる「黄金の20年代」です。

それはやがてヨーロッパへと伝搬し、パリ、ベルリンを中心に芸術文化が花咲いたのでした。

そうした中、チュードックは15世紀から17世紀に製作され絨毯の贋作を製作することを思いつきます。

16世紀初頭のホルバイン絨毯(ブルケンタール国立博物館蔵)とチュードックによる贋作とみられるホルバイン絨毯(ニックル美術館蔵) 16世紀初頭のホルバイン絨毯(ブルケンタール国立博物館蔵)とチュードックによる贋作とみられるホルバイン絨毯(ニックル美術館蔵)

16世紀初頭のホルバイン絨毯(ブルケンタール国立博物館蔵)とチュードックによる贋作とみられるホルバイン絨毯(ニックル美術館蔵)

 

修理職人であった彼は手織絨毯のすべてに精通していました。

チュードックが製作したのは15世紀から17世紀のアナトリア、コーカサス、イランの絨毯の贋作で、ホルバイン絨毯、ロットー絨毯、トランシルバニア絨毯などの名品ばかり。

機から降ろされた絨毯は様々な技法を駆使して丹念に古色を施されたのち、ディーラーを経てコレクターたちに高値で売り渡されました。

彼らの中にはジェームズ・F・バラードやジョセフ・V・マクマランら、世界的に有名なコレクターもいましたが、そのうちの幾人かはそれらを博物館・美術館に売却します。

しかし、チュードックが手がけた贋作は学芸員たちをも欺き、本物として売買されたのです。

トランシルバニア絨毯とチュードックが製作した贋作 トランシルバニア絨毯とチュードックが製作した贋作

トランシルバニア絨毯とチュードックが製作した贋作

 

それらはM・S・ディマンド、クルト・エルトマン、ウルリッヒ・シュルマン、ハインリッヒ・ジェイコビーらオリエンタルラグの研究者が著した書籍にも本物として紹介されていました。

しかし、20世紀の半ばになるとその信憑性に疑いを持つ者が現れ始めます。

そして、このうちのいくつかはその後の調査により贋作であることが判明し、入手経路からチュードックの存在が明らかになったのでした。

世界最大の装飾美術館であり、アルデビル絨毯やチェルシー絨毯などを所蔵するビクトリア・アンド・アルバート美術館は何十年もの間チュードックの贋作を展示していたことはよく知られた話です。

チュードックの贋作は他にもルーマニア国立美術館(ブカレスト)、ブルケンタール国立博物館(シビウ)、ブラショフ美術館(シビウ)、イスラム美術館(ベルリン)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、繊維博物館(トロント)、ニックル美術館(カルガリー)でも見つかりました。

1994年に朝日新聞社から出版された『絨毯 シルクロードの華』の中には、チュードックの贋作とみられるミフラブ・瑞雲文絨毯が(本物として)紹介されています。

チュードックによる贋作とみられるミフラブ文様絨毯(ベルリン・イスラム美術館蔵)

 

贋作の販売により莫大な富を得たチュードックは1958年頃にいっさいの製作をやめたといわれます。

その後はブカレストで優雅に暮らしていましたが、1983年に95歳で亡くなりました。

面白いのは彼が製作した贋作は単なる贋作で終わらず、コレクションの対象として贋作であることを前提に人気を呼んでいるということです。

有名オークションハウスが主催するオークションにもたびたび登場し、高値で取引されています。

そうした現状を受け、チュードックの作品ではないレプリカをチュードックの作品と偽って販売する者さえ現れてきました。

いわば贋作家の作品の贋作という訳ですが、実に皮肉なものです。

チュードックが製作したトランシルバニア絨毯の贋作(画像出典:クリスティーズ)

今日、美術館や博物館、個人コレクションの中にもまだ発見されていないチュードックの贋作が紛れているといわれます。

ローマ在住のルーマニア人学者、ステファノ・イオネスクは著書『Handbook of Fakes by Tuduc』においてチュードックが製作した贋作76点と、手本となった20点のアナトリア、コーカサス、イランの絨毯とをカラーとモノクロ写真で紹介しました。

ステファノ・イオネスクはトランシルバニア絨毯の研究に15年以上を費やしてきたアナトリア絨毯の権威で、本書ではチュードックが用いたテクニックと作品が持つ特徴とが解説されています。

『Handbook of Fakes by Tuduc』(2012年、Volkmann-Treffen)

 

【参考】

ホルバイン絨毯

ルネサンス期のドイツ人画家、ハンス・ホルバインをはじめ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、カルロ・クリヴェッリ、ドメニコ・ギルランダイオの作品に描かれているタイプのアナトリア産とされる絨毯。

八角形や菱形を数列並べる構成(タイプ1)、正方形の中に置いた大型の八角形を上下に並べる構成(タイプ2)、幾何学的なアラベスクを連続させる構成(タイプ3)、正方形の中に置いた大型の八角形と副次的な小さな八角形とを並べる構成(タイプ4)の四つのタイプがあります。

そのうち幾何学的なアラベスクを連続させる構成(タイプ3)のものは、今日「ロットー絨毯」とよばれています。

ホルバイン絨毯タイプ1(バルジェロ美術館蔵)とタイプ2(ビクトリア・アンド・アルバート美術館蔵 ホルバイン絨毯タイプ1(バルジェロ美術館蔵)とタイプ2(ビクトリア・アンド・アルバート美術館蔵

ホルバイン絨毯タイプ1(バルジェロ美術館蔵)とタイプ2(ビクトリア・アンド・アルバート美術館蔵)

 

ホルバイン絨毯タイプ4(トルコ・イスラム美術博物館蔵)

ホルバイン絨毯タイプ4(トルコ・イスラム美術博物館蔵)

 

ロットー絨毯

ルネサンス期のイタリア人画家、ロレンツォ・ロットーの作品に描かれているタイプのアナトリア絨毯。

16世紀から17世紀にかけて、エーゲ海地方内陸部のウシャクで製作されたものと考えられています。

赤地のフィールドに黄色の幾何学的なアラベスク文様が織り出されているのが特徴です。

ロットー絨毯(メトロポリタン美術館蔵)

ロットー絨毯(メトロポリタン美術館蔵)

 

トランシルバニア絨毯

ルーマニア中部トランシルバニアのプロテスタント教会で発見された、一群のアナトリアの産とされる絨毯および同タイプの絨毯。

その多くが17世紀から18世紀の作で、「シングル・アーチ」「ダブル・アーチ」「プレイン・アーチ」「ポルティコ」の四つのタイプに分類されます。

シングル・アーチ・タイプとダブル・アーチ・タイプのトランシルバニア絨毯(メトロポリタン美術館蔵) シングル・アーチ・タイプとダブル・アーチ・タイプのトランシルバニア絨毯(メトロポリタン美術館蔵)

シングル・アーチ・タイプとダブル・アーチ・タイプのトランシルバニア絨毯(メトロポリタン美術館蔵)

 

プレイン・アーチ・タイプとポルティコ・タイプのトランシルバニア絨毯(画像出典:サザビーズ) プレイン・アーチ・タイプとポルティコ・タイプのトランシルバニア絨毯(画像出典:サザビーズ)

プレイン・アーチ・タイプとポルティコ・タイプのトランシルバニア絨毯(画像出典:サザビーズ)

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