貴婦人の寝室に敷かれたペルシャ絨毯
[第 話]
高価な絨毯が室内の敷物として西欧の家庭生活の中で使われるようになったのは、1254年、スペインのカスティラの王女エレオノールが英国王エドワード1世の花嫁として英国に渡ったとき、彼女の召使たちがウェストミンスター城の彼女の部屋の浴室にイスラム・スペインの風習に従って絨毯を敷いたことがきっかけだといわれています。
それまでは王宮の中であっても、床は剥き出しのままでした。
中世の半ば頃から、ヨーロッパでは特に北方ゲルマンなどの民族の中に文化が栄えてきて、住居の室内はフローリングが一般的となってきましたが、まだその床には絨毯などは敷かれていませんでした。
13世紀以後に、室内に絨毯を敷くようになってゆきますが、それは王侯だけのものでした。
イタリアの一部とスペインを除いて、ヨーロッパ一般の上流階級の邸宅には、13世紀以前には絨毯は敷かれていなかったのです。
しかし、床に絨毯を敷くと、その室内はたちまち快適さと美しさに溢れるということを知ると、この王侯の習慣は急速に上流貴族の間に伝搬してゆき、それは更に一般庶民の間にも普及してゆきました。
特に英国では、この絨毯が carpet run(カーペット・ラン)として家庭の中に溶け込んでゆきました。
例えば、その頃に描かれた絵画を見ると、室内に敷かれたものはあの壮大な広がりを持つ絨毯ではなく、もっと小さくて幅1〜2メートルぐらい、長さ10〜20メートルぐらいの細長い絨毯を、寄木や大理石の床の適当な場所に置いていたようです。
細長く移動可能なところから、この絨毯はカーペット・ランと呼ばれました。
そして、このカーペット・ランを置くところは、当初は貴婦人の寝室に限られていました。
それが、やがて他の居室や寝室でも使われるようになったのです。
女性がここでも流行の先鞭をつけていました。
女性的な柔弱な紳士、例えば実践経験もなく戦功もなくて爵位を得た人などのことを、英語ではcarpet knight(カーペット・ナイト)と呼びました。
それは、このカーペットが元来、婦人室専用の贅沢品であったことに由来しているのです。
絨毯は床に敷かれるだけでなく、壁に掛けられたり、部屋の間仕切りとして天井から吊り下げられもしました。
元来、キリスト教国の一般家庭の住居では、13世紀頃まで、フランスやイタリアを除いて北の方の国々では、だいたいにおいて窓が少なく、その窓にはヨロイ扉がついていて、暖炉は一つか二つ設けられているだけで、室内といえば冷たい風を防ぐために高い背の椅子があるだけでした。
家具は少なく、冬には家の中ででも帽子や毛皮を纏っていたほどでした。
そして一般に普通の家では、床は板敷きで、寝室にはイグサや藁を敷いており、それらの悪臭は酷かったらしく、慈悲の心ある教区の司祭さえもが、その家を訪ねることを断ったという話も伝わっています。
そんな寒々とした部屋の壁は裸のままでした。
この裸の壁に絨毯や綴織などを壁掛けとして吊るすと、それで壁のひび割れを隠すこともできたし、入口の扉に掛ければ、寒さや乾燥や湿気を防ぐこともできました。
更には広間を二つの部屋に仕切ることもでき、また必要に応じてその幕の陰に隠れることもできたのです。
シェイクスピアの悲劇『ハムレット』やモリエールの風刺劇『女学者』や『守銭奴』などの芝居の中で、主人公たちが立ち聞きを
する場所は、ほとんどがこの分厚い垂れ幕の後ろでした。
また、この絨毯で同時にに室内を重々しく華やかなものに装飾することができました。
殊に、吸音や防音の効果とか心理的な落ち着きを得られることから、絨毯は寝室の壁に掛けられることが多くなってゆきました。