ペルシャ絨毯の起源を探る その2
[第 話]
純毛製である上に、手織りとその精巧さで知られているのがペルシャ絨毯です。
そのペルシャ絨毯に代表される西アジア諸民族が製作する絨毯は、一体いつの頃から生産され始めたのでしょうか?
それは遠い昔のことでした。
砂漠の民が遠い昔に、こうした敷物としての絨毯を考案したのです。
では、それは一体いつ頃のことなのでしょう?
紀元前5、6世紀頃のササン朝時代のペルシャ人たちは、美しい品や美しい家や美しい庭園を好み、室内の床には弾力性のある色とりどりの絨毯を敷いて、その絨毯の上に座って金の盃で酒を飲んでいたと伝えられます。
だとすれば絨毯が製作され始めたのは、この時代よりも更に遠い昔に遡ることになります。
考古学者は絨毯の発明を、紀元前15世紀から紀元前7世紀にかけてオリエントを統一したアッシリア王国の頃と推定しています。
というのは発掘されたアッシリアのホラサバード宮殿の石柱の土台には、房の付いた絨毯らしきものを浮彫りしてあるからです。
それにしても、この一国の王の住む宮殿内のしつらえは実はとても貧弱なものです。
家具としては低い匠と柳枝の細工に竹の枝でかこした箱と、マットレスの代わりに柳細工で上部を覆っただけの低い寝台しかないのです。
それなのに床には豪華な絨毯がありました。
もうそれだけで宮殿の室内は豊かな王の部屋となるのでした。
つまり、絨毯は王そのものの象徴であったてた考えてもよさそうです。
638年、アラブ人はペルシャの首都クテシフォンを陥落させました。
その戦利品の中にあった王専用の絨毯は後世まで語り伝えられて有名になりましたが、もちろん1300年前の絨毯の遺物の現品は存在していません。
この王の絨毯は、おそらく縁に模様の縫い取りのあるものだったと推定されます。
しかし、これがパイル織の絨毯であったのか、平織のキリムであったのか、はたまたそれら以外のものであったのかは定かではありません。
7世紀の始め、唐の高僧、玄奘(げんじょう)は、西方インドへ陸路で大旅行をして『大唐西域記』を著しました。
当時のインドの国王ハルサ・バルディアナはペルシャとの交易を行っていた関係から、国内でペルシャ人を見かけることがありました。
玄奘は、その著書の中で、ペルシャ人が絹の金襴の浮き織りと並んで羊の毛で布地や絨毯をまことに精緻を尽くして織りあげているその手仕事ぶりに、驚嘆の言葉を述べています。
また、その他の多くの探検旅行者たちも、かつてペルシャのアケメネス朝の要都であったイスファハン地方で作られていた絨毯の見事な仕上りと高度な技術を礼讃し、同時にアルメニアの高価で豪華な絨毯にも讃辞を惜しみませんでした。
そのいずれもが奴隷的ともいえる忍耐力と、果てしなく繰り返される手仕事によって織りあげられたものでした。
絨毯は王が独占的に使用するに値する豪華なものだったのです。
当時のエジプトの遺跡、エル・フスタートから出土した絨毯には、王の象徴たるライオンが織り出されています。