マランドの夜の闇に消えたペルシャ絨毯
[第 話]
その日、タブリーズを出てマランドに着いたのは夜の8時頃でした。
そろそろ夜の闇が迫って来る頃です。
マランドは東アゼルバイジャン州の主要都市の一つで、タブリーズの北西に位置しています。
タブリーズ絨毯を製作する町の一つとしても知られており、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した絨毯作家、ハジ・ジャリリもこの町の出身でした。
町の人口は13万人ほどで、小さな絨毯バザールもあります。
車を降りると、知り合いのタブリーズの絨毯商が一軒の家に案内するといいます。
何でも6平米のペアを父と息子の2人で織っているというのです。
しかも90ラジ(約165万ノット)もあるといいます。
半信半疑で家に上がらせてもらいました。
そこには間もなく完成するであろう素晴らしい絨毯が鎮座していました。
「もう6年以上やっている」と絨毯商はいいます。
6平米のペアだと12平米になりますから、これを二人で織るとなると、やはり6年半はかかる計算になります。
値段は高かったですが、これだけのタブリーズ絨毯の逸品は二度と見る機会がないかもしれません。
使われている色は50色。
とにかく素晴らしいタブリーズ絨毯だったのです。
迷いに迷ったのですが、未完成とはいえ9割以上は織りあがっていましたから、細部を確認した上で思い切って買うことにしました。
あと2、3ヶ月もあれば完成するとのことでしたので、帰国後、完成を楽しみにしていました。
それから3ヶ月ほどして電話を入れたところ、もう出来あがって洗いに出しているとのこと。
あと一月もあれば発送できるといいます。
とりあえず安堵し、電話を切りました。
それから1ヶ月が経ちましたが発送したという連絡はありません。
更に一月が経ち、再び電話を入れたところ、いろいろとあったが、もうすぐ発送するとのことで……。
どうも雲行きが怪しくなってきました。
翌月、イランに行く用事があったので、タブリーズの絨毯商をしてくれたクムの絨毯商に、あの絨毯はどうなったかと問うたところ、「いま税関にあると聞いている」といいます。
もう「蕎麦屋の出前」のようですが、一応信じてもう少し待つことにしました。
結局、そのタブリーズ絨毯が届くことはありませんでした。
代金はまだ支払っていなかったので、金銭面での被害はなかったのですが、精神面では大きなダメージを受けました。
あとで分かったことですが、サウジアラビアのお金持ちに私が買った値段の2倍で買うからと言われ、そちらに売ったようです。
「イラン人あるある」ですが、実に残念な出来事でした。
昔、『人間の証明』という角川映画のコマーシャルに「お母さん、僕の帽子、どこに行ってしまったのでしょうね」というのがありましたが、まさに「僕の絨毯、どこに行ってしまったのでしょうね」です。
マランドの夜の闇に消えてしまったあの絨毯は、いま頃、サウジアラビアの豪邸を飾っているのでしょう。
いまでも忘れられない苦い思い出です。