ペルシャ絨毯はどこの国のものか?
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ペルシャはイランの旧称で、その名はイラン南西部のファース(ファールス)地方に由来します。
ファースはアケメネス朝発祥の地で、アケメネス朝がイラン高原を統一してからは国土全体を指す言葉として使用されるようになりました。
ファースは古代ペルシャ語ではパールサと呼ばれ、その語源は北からこの地に移住した部族であるパルスアに由来するとされます。
このパールサを同時代のギリシャではペルシスと呼んでいましたが、その後ラテン語でペルシャと呼ばれるようになりました。
なお、イラン高原がアラブ人の支配下に入った後、パールサはアラビア語でファースと呼ばれるようになり、現在もペルシャ語の単語の約20%はアラビア語に由来するものです。
よってペルシャというのは主に欧米で使用された呼び名であり、イラン人たちは自らの国をアーリア人の国を意味するイランと呼んでいました。
その後、ペルシャはサファヴィー朝期に絶頂期を迎えますが、サファヴィー朝の消滅とともに衰退し、カジャール朝の末期にはロシアやイギリスの半植民地と化していました。
その反動からか、1925年にレザー・シャーが即位すると古代礼賛の気風が高まります。
それはイラン民族叙情詩の集大成である『王書』(シャー・ナーメ)を著したフェルドーシーの生誕から1000年にあたる1934年に最高潮に達し、レザー・シャーはその翌年、国名にイランを使用することを各国に通達しました。
しかし、ペルシャという名は文学や芸術などの分野ではそのまま残り、現在に至っています。
つまりペルシャ絨毯とは、イランで作られる絨毯のことを指します。
ただし、ここでいう絨毯はこの国がペルシャと呼ばれていた時代から受け継がれてきた手織絨毯をいいます。
手織絨毯は、熟練した職人が手作業で糸を織り上げて作られる伝統的な絨毯のことです。
ペルシャ絨毯は、その手作業による繊細な技術と美しさ、高品質な素材の使用により、高価でありながらも価値のあるアート作品として世界中で愛されています。
絨毯のデザインや柄は、それぞれの文化や地域の特色を反映しており、その美しさや独自性が魅力となっています。
ペルシャ絨毯に似ている手織絨毯としてはトルコやエジプト、ルーマニア、インド、パキスタン、中国などで製作されたものがあります。
デザインはペルシャ絨毯をコピーしたものが多いのですが、これらの国で織られた絨毯は当然のことながらペルシャ絨毯ではないので購入する際には注意する必要しなければなりません。
また、技術の進歩により精巧にペルシャ絨毯風の機械織絨毯が製作されるようになりました。
これらの機械織絨毯は本物のペルシャ絨毯の写真からコンピュータを用いてデザインを読み取り製作されています。
とりわけクム産のシルク絨毯を模して製作されたものは精度が高く、出始めた頃にはプロの絨毯バイヤーが騙されたという逸話があるほどです。
素材には化学繊維の一種であるレーヨンが使用されていますが、あえてレーヨンという言葉を使わず、「ビスコース」や「バンブー・シルク」などといった素材名が使われています。
この機械織絨毯は柔らかくて折り畳むことができる上、フリンジとエッジについては本物の絹糸を取り付けてあるため、素人が見破るのが難しい場合があります。
工場がカシャーンの郊外にあるためか「カシャーン産」として販売されていることも多いです。