ペルシャ絨毯を題材にした日本映画

ペルシャ絨毯を題材にした日本映画

ペルシャ絨毯を題材にした日本映画

[第 話]

ペルシャ絨毯を題材にした日本映画があったのをご存じでしょうか?
ペルシャ絨毯をテーマとした映画は世界的に希少なのですが、イランから遠く離れたわが国で2本の映画が製作されたことは、日本のペルシャ絨毯商としては実に喜ぶべきことでしょう。
とりわけ『燃える秋』は、わが国にペルシャ絨毯というものを広く認知させた記念すべき作品です。
後述する事情から、いまだにDVD化はされていませんが、ぜひ一度、観てみたいですね。

1. 『燃える秋』

最初に紹介するのは、1978年に公開された『燃える秋』です。
五木寛之が著した同名の小説を『化石』の稲垣俊が脚色。
ペルシャ絨毯に心惹かれた一人の女性が、絨毯に織り込まれた五千年の歴史や文化を知り、愛や幸せよりも大切なものを求めて生きる姿を描いています。

この映画は1978年の秋に「ペルシア五千年美術絨毯展」を開催することを決めた三越社長の岡田茂が、ペルシャ絨毯を映画の公開に合わせて販売するために企画し、東宝が提携して制作されました。
制作費は5億から10億円といわれています。
『燃える秋』を三越が企画したのは、五木寛之の同名小説がペルシャ絨毯に心惹かれた女性を主人公とするものだからで、五木が取材のためイランを訪れた際には三越のテヘラン支店(イラン革命により閉店)が案内役を勤めました。

三越は展示会のために1977年に1000枚のペルシャ絨毯を輸入しています。
輸入に際しては神戸の某絨毯商が仲介役を務めたとしている書籍があるようですが、これはまったくの事実無根で、間に入ったのは三越と同じ三井系企業の三井物産です。
それはさておき、『燃える秋』は1978年の12月に公開されました。
主演は真野響子で、ほかに北大路欣也、佐分利信、小川真由美、上條恒彦ら。
監督は『人間の條件』『上意討ち 拝領妻始末』の小林正樹が勤めました。
ちなみに、この映画には大阪のイラン人絨毯商がチョイ役で出演しています。
40度近い酷暑の中、カシャーンのアミールカビールホテルをベースにしてカシャーン郊外の砂漠地帯を中心に撮影が行われました。
また、イスファハンやシラーズへはロケバスで移動したそうで、1ヶ月近くに及ぶイランでのロケは過酷なものであったようです。

『燃える秋』はHI-FI-SETが唄う同名の主題歌(作詞・五木寛之、作曲・武満徹)とともにヒットしました。
ペルシャ絨毯の上で真野さんと北大路さんが熱烈なラブシーンを演じるシーンがあるのですが、映画が公開されると「あの絨毯はまだあるのか」との問い合わせが三越に殺到したそうです。
しかし、三越社長の岡田が三越の配送を請負っていた大和運輸(現ヤマトホールディングス)に映画前売券の購入を強要していたことが発覚。
独占禁止法の優越的地位の濫用に該当するとして公正取引委員会から審決を受けます。
のちに岡田は強引な経営による一連の不祥事、いわゆる三越事件を引き起こし、「なぜだ!」の言葉を残して解任させられました。
『燃える秋』は三越の黒歴史の一部として公開後お蔵入りとなり、今日に至るまでDVD化されていません。
もちろん、Netflix、Amazon Prime Video等の動画配信サービスでも観ることが出来ませんので、あらすじを紹介しておきます。

……26歳のグラフィック・デザイナー、桐生亜希(真野響子)は、マックス・エルンスト展で父娘ほど年の離れた画商の影山良造(佐分利信)と知り合い、愛人関係になりました。
やがて、愛玩具として弄ばれることに疲れ切った亜希は、影山との関係を清算しようと京都への旅に出ます。
祇園祭の宵山……雑踏の中で山鉾に懸けられたペルシャ絨毯を喰い入るように見つめる若い商社マン、岸田守(北大路欣也)。
岸田に出会った彼女は、ペルシャ絨毯の美を語る彼を愛するようになります。
しかし、亜希は彼からのプロポーズを受け入れることができませんでした。
気持に何らかの微妙なズレを感じていたからです。
そんなとき、影山が癌のため亡くなります。
彼が遺した航空券でイランへと旅立った亜希は、そこで五千年の歴史を誇るペルシャ絨毯に魅せられてしまうのでした。
自分を追ってイランを訪れた岸田に求婚され素直に応じる亜希でしたが、帰国の飛行機の中で岸田のアタッシュ・ケースにギッシリと詰められた絨毯のカラー・スライドを見てしまいます。
日本で同じデザインの絨毯を機械で織らせようとする岸田。
そして、それに戸惑いを感じる亜希。
岸田は「ペルシャ絨毯は高価だ。貧しい人々の手には入らない。美しいデザインは特権階級だけのものではない」といいます。
しかし、亜希にはどこかが違っているように思えたのです。
空港へ着いたら岸田と別れようと決心した亜希は、独りで生きてゆくことを決心したのでした……

十数年前、北大路さんと奥様の古谷祥子さんにお会いする機会がありました。
北大路さんはイランへのロケに奥様を同行させたそうです。
奥様は一般人であるがゆえ、「俳優という仕事が、いかに大変なものかを妻に知ってもらいたかった」とおっしゃっていました(たしかに『八甲田山』などを観ると、その大変さが分かります)。
イランではイスファハン産のペルシャ絨毯をお土産に買って帰ったとのことです。

2. 『風の絨毯』

次に紹介するのは2003年に公開された『風の絨毯』です。
この映画は、ペルシャ絨毯を通じて生まれた日本人の少女とイラン人の少年のちょっぴり切ない恋を交えつつ、2つの国の文化の壁や国民性の違いを乗り越えてゆく姿を描いたものです。
監督は『テヘラン悪ガキ日記』のカマル・ダブリーズィーで、出演は柳生美結、榎木孝明、工藤夕貴、三國連太郎(特別出演))、レザ・キアニアン他。
本作品は初の日本・イラン合作映画となりました。

物語は飛騨高山から始まります。
400年前に消失した祭屋台の再現を目指す中田金太(三國連太郎)は、祭屋台を飾る見送り幕にペルシャ絨毯を使うことを決め、そのデザインをペルシャ絨毯の輸入業を営む永井誠(榎本孝明)の妻で画家の絹江(工藤夕希)に依頼しました。
中田との何度かのやり取りの末、絨毯の意匠図が完成し、あとは誠がイランで形にするのみとなりました。
しかし誠が日本を発つ直前、絹江が交通事故で帰らぬ人となります。
母親の死を受け入れられず、心を閉ざしてしまう娘のさくら(柳生美結)。
さくらを心配する誠は、悲しみを紛らわせるため、彼女を連れてイランへと向かいます。
イスファハンでは誠の友人で絨毯商のアクバル(レザ・キアニアン)らに暖かく迎えられる誠とさくらですが、意匠図を渡し支払いを済ませたにもかかわらず絨毯製作は手付かずの状態で、祭りの期日に間に合わない事態に陥りました。
しかしアクバルの甥のルーズベは、期日に間に合うよう作業が速い織師を集めて昼夜交代制で製作することを提案。
絨毯は製作されることになります。
ルーズべが病床の父親を支えていることを知ったさくらは、彼に少しずつ心を開いてゆきました。
絨毯織りのプロたちが人たちが集結し、さくらとルーズべたちも加わって期日内に絨毯を完成させます。
しかし、それはお互いに恋心を抱き始めた二人の別れを意味するものでした……。

制作費は1億円で『燃える秋』に比べると規模は遠く及びませんが、ペルシャ絨毯の作り方や、プライドが高い割にはどこか抜けている?イラン人の生の姿を知るには最適な作品であるといえるでしょう。
派手な演出はいっさいなく、ストーリーは淡々と進んでゆくので、ペルシャ絨毯に興味のない方には少し退屈かもしれません。
正直にいうと中学生の折に体育館で見せられた、文部省推薦映画のような感じを受けました。
それでもペルシャ絨毯を媒体として人間を描くという、ユニークなストーリーは評価できます。

映画の公開に合わせて「まつり山車の世界」が日本橋三越にて開催され、150年ぶりに復元された巨大な祭屋台(山車)と、映画に登場したイスファハン産のペルシャ絨毯が展示されました。
また、ユニセフ支援を目的としたペルシャ絨毯販売会も実施され、会場では榎本孝明氏によるトークショーや同氏が描いたスケッチなどが展示されました。
『風の絨毯』は第15回東京国際映画祭の特別招待作品となり、第21回ファジール国際映画祭では観客賞・審査員特別賞、国際カトリック教会賞を受賞しています。
この映画はDVD化されており、U-NEXTでも観ることができます。

イランではペルシャ絨毯をテーマとした映画として『ギャッベ』と『ペルシャ絨毯』の2本が製作されています。
これらについては別の機会に紹介したいと思います。
「いゃ〜、映画って、本当にいいものですね!」

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