個性的なトライバルラグを製作するクルドについて
[第 話]
クルドはトルコ南東部からイラク北部の山岳地帯を中心に、イラン北西部、シリア北東部などを含めたクルディスタンと呼ばれる地方に暮らす部族で「国家を持たない世界最大の民族」と言われています。
政治的理由などにより明確な統計がありませんが、人口はトルコ、イラク、イランにそれぞれ200万人で合計600万人以上とするものから、2,500~3,000万人とするものまで諸説あります。
クルドの母語はインド・ヨーロッパ語族に属するクルド語で、ペルシャ語の古典形の一種です。
クルド語はイランとイラクとに跨る地域で使用される「クルディ」と、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャン、北イラクで話される「クルマンジー」との大別されますが、両者の違いはきわめて大きく、共通の文字さえありません。
クルドの歴史は紀元前3000年頃のシュメールの碑文に「カルダカ」という国の名があり、それをクルドの起源とする説がありますが、一般には古代グティウム王国に遡ると考えられています。
グティウム王国は紀元前2400年頃に存在した国家で、アラフカ(現在のキルクーク)を都としていました。
その後、現在のクルディスタン地方にはカルドゥチという名の国が存在し、アケメネス朝の時代には「カルダカイ」と呼ばれていたことがわかっています。
クルドという名は7世紀のアラブ人の侵攻以降に使われるようになったとされ、「クルドの地」を意味するクルディスタンが正式に地名として定められるのはセルジュク朝第8代君主であったアフマド・サンジャル(在位:1118〜1157年)の時代のこと。
イルハン朝期には現在のケルマンシャーにスルタナバード・チャムチャールという町が創設されて経済・文化の中心地となります。
ティムール朝の時代に入ると首都タブリーズに近い現在のサナンダジ近郊に建設されたハサナバード城塞がその中心となり、サファヴィー朝の時代にはオスマン・トルコとの争奪戦の舞台になりました。
第二次世界大戦終結直後の1946年1月、ソ連の支援によりマハーバードに「クルディスタン共和国」が建国されます。
しかし、石油開発の独占権を持つソ連とイランの合弁会社を設立することを条件にソ連軍は撤退。
クルディスタン共和国はイラン国軍の侵攻を受けて崩壊しました。
1. ジャフ
ジャフは約400万人を擁するクルド最大の部族で、イランのクルディスタン州、ケルマンシャー州からイラクのスレイマニア州にかけて居住しています。
「ジャフィ」とよばれるソラニ語(クルド語の方言)を話し、クルドの中では教育の行き届いた知的な部族として知られています。
もとは遊牧民でしたが、現在はそのほとんどが定住し、農民となっています。
2. ヘルキ
ジャフに次ぐクルド第二の勢力で、イラク北部のモスールからエルビルに至る地域を中心に、イラン西部のクルディスタン州及び西アゼルバイジャン州、トルコ東部のヴァン湖周辺に暮らしています。
メンダ、サイダ、セルハティの三つの支族があり、「クルマンジ」とよばれるクルド語の方言を話します。
3. カカベル
クルディスタン州の州都であるサナンダジの北に暮らす部族。
濃紺のフィールドにメダリオンやゴル・ファランギ、ボテ等を大胆に配した野性味あふれる作風が特徴で、色はやや暗め。
デザインには隣接するコリアイとの共通点が多いものの、ダブル・ウェフトの構造ゆえシングル・ウェフトのコリアイ産との判別は容易です。
なお、サナンダジやハマダンのバザールで言う「カカベル」とは、サナンダジ周辺に暮らす遊牧民が製作した絨毯の総称で、カカベル族以外の作品も含まれています。
4. センジャビ
センジャビはケルマンシャーの北東に暮らす部族です。
この部族は1730年代にファースやルリスタン、シャーリズル、ディムラからマヒダシュト・ケルマンシャー近くの渓谷に移り住んだ人々がクルドのグラニ族に属するゼンゲネ族の農民との連合体でした。
出自の異なる部族の連合体ゆえに統制を欠いていましたが、その後の経過によりセンジャビの名のもとに統合されました。
クルドには他にグラニ、ハリバイ、ギャッルース、コリアイなどの部族がありますが、これらの部族が製作する絨毯はシティラグあるいはビレッジラグに分類されるのが一般的ゆえ、ここでは述べません。
本サイト内【ペルシャ絨毯の産地】「セネ」「ビジャー」「コリアイ」をご覧ください。