アリー・タージル・ラシュティザデの作品
クムにおける絨毯製作は1930年代後半に始まりますが、新興産地であるクムの絨毯作家や意匠師たちは、他産地の作品からデザインを得ることを考えました。
彼らが目を付けたのは優雅な曲線で構成された都市部の絨毯だけでなく、幾何学文様を用いた部族民のそれにまで及び、結果、両者を融合させたかつてない新たなデザインを生み出すことになったのです。
そうした経緯を経て製作された本作には、ケルマン絨毯風のペイズリーとカシュガイやハムセの絨毯に見られるストライプとを組み合わせたデザインが採用されています。
そのデザインには幾何の違和感さえ認められないばかりか、かえって互いを引き立てさせるという面白い効果を生んでいることは特筆に値すべき点でしょう。
もとになっているのはヘラティ文様ですが、ロゼットを囲むアカンサスの葉を武骨な部族民風のものに変え、力強さを演出しています。
こうした試みはラシュディザデに限らず、クムにおける絨毯産業の草創期に活動した多くの絨毯作家や意匠師たちによって行われました。
今日のクム絨毯にその面影は少ないものの、貪欲なまでに新たなデザインを追い求める姿勢こそは変わることなく受け継がれているといって間違いないでしょう。
男性的なイメージの強いフィールドに相反し、ボーダーは繊細な文様によって構成された女性的なデザインで、その対比が面白い作品に仕上がっています。
「パジリク絨毯」のデザインを用いて製作された作品。
上の二枚の作品のようなアレンジはほとんど加えられておらず、きわめてオリジナルに近いデザインとなっています。
パジリク絨毯は紀元前260~250年頃に製作されたと推定される約2メートル四方の絨毯で、アルタイ山中のパジリク古墳で見つかったもの。
長年アケメネス朝ペルシャの産と考えられていたため、科学の進歩により中央アジア産説が有力となった今日においても、イラン人たちはかつての説を翻していないようです。
とりわけ絨毯産業に関わる者々にとって、それは心の拠り所ともなっているのでしょう。
それはともかくとして、1963年にカシャーンのセイエド・アミール・ホセイン・アフサリ・カシャーニがイラン政府よりパジリク絨毯の復元を依頼され、以後、同デザインの作品が国賓への贈答品として用いられるようになったことから、本作はそれにあやかり製作されたものかもしれません。