未完成のペルシャ絨毯に価値はあるのか?
[第 話]
ペルシャ絨毯は手織であるため、機械織の絨毯に比べると完成するまでに長い月日を要します。
ペルシャ絨毯の製作期間はサイズやノット数などによって異なりますが、例えば6平米で50ラジ(約49万ノット)のペルシャ絨毯を1人で仕上げるとなると、2年ほどもかかります。
この長きに渡る期間中、何らかの事情により作業を最後まで進めることができず、中途半端なままにしなければならないことが起こり得るのです。
その原因としては、織師の病気、怪我、死去、離婚、飽き、絨毯作家との意見の相違などが挙げられます。
織師とて人間なのですから、それも致し方ないことなのかもしれません。
しかし、それとは別に絨毯作家が作業の進行状況を確認したところ、市場に流通していない素材や色の糸を使用していることが判明することがあります。
これらは絨毯作家にとっては深刻な問題で、彼らは常にこうしたリスクを頭に入れておかなければならないのです。
さて、それでは中途半端なままで残された絨毯は一体どうなるのでしょうか?
まず、別の織師に作業を継続させ、作品を完成させるというものです。
しかし、これを受け入れる織師はあまりいないと言わざるを得ません。
その理由は、多くの織師が「絨毯には織師の魂が宿る」ということを信じているからです。
そのため中途半端な状態のままで売られたり、額装されて売られたりする場合が多く、このような絨毯は「ガリ・ガフリ」(不自然な絨毯)と呼ばれます。
ガリ・ガフリは、あまり知られていない用語の一つであるため、おそらくこの言葉を聞いたことがある人はほとんどいないでしょう。
ガリ・ガフリは、最終まで作業を終えることができなかった絨毯、つまり未完成の絨毯のことです。
ゆえに「ガフリ」(不自然な)と呼ばれるのです。
中途半端な敷物には価値がないと考える人が多いかもしれません<。
しかしガリ・ガフリには、それなりの需要があるのが面白いところです
需要があるというのは価値があるということです。
ガリ・ガフリを購入しようとしている人はその未完成の絨毯に価値がある理由を分かっています。
ある村で年配の女性が絨毯を織っている最中に亡くなったとします。
そんなとき、その未完成の絨毯を購入しようとする人は、絨毯が中途半端なままになってしまった理由を知りたがります。
彼らは、未完成にならざるを得なかった出来事をその絨毯が持つストーリーであると考えるからです。
美術工芸品の世界では、こうした「由来」や「曰く」は、ときに品物の価値を高めることさえあるのです。
わが国には「未完の美」という思考があります。
松尾芭蕉の『徒然草』には、「すべて、何も皆、事のととのほりたるは悪しきことなり。し残したるを、さてうち置きたるは、おもしろく、生き延ぶるわざなり」(何事においても完全というのはよろしくなく、やり残しがあった方が味わい深いものである)とあります。
また岡倉天心は『茶の本』の冒頭で、「茶道の本質は不完全なものへの崇拝で、人生とは不可能なものの中で、何か可能なものを成し遂げようとする繊細な試みである」と述べています。
思い描いたカタチや仕上げが完成する前の状態を美しいと感じる、これが未完の美です。
イラン人の中にこれと同じ思考を持つ者がいるかどうかは分かりません。
しかし、ペルシャ絨毯の価値の一端をストーリーに求めるのであれば、ガリ・ガフリを購入するのは十分に意味があることといえます。