サーダバード宮殿のペルシャ絨毯48枚が紛失
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2023年5月、イラン治安当局は、大統領府の管理下にあるサーダバード宮殿博物館から48枚のペルシャ絨毯が紛失したことを突然公表しました。
目撃者の話では、それらのペルシャ絨毯は「マツダのバン」に積み込まれたとのことです。
マスコミはすぐに、これらの絨毯の紛失はハサン・ロウハニ前政権が関与したものであると報道しました。
このニュースが報じられてから間もなく、手織絨毯販売組合の組合長が「絨毯はサーダバード宮殿から絨毯博物館へ運ばれたものである」と発表したのです。
しかし、絨毯博物館はこれを否定しています。
絨毯博物館によれば、2007年5月29日、ブスタン宮殿から登録番号51のマシャド絨毯と登録番号77のビルジャンド絨毯の2枚のシェイフ・サフィ文様のペルシャ絨毯が貸与されました。
これらのカーペットは、2015年6月24日に絨毯博物館に納品され、現在同博物館に展示されています。
しかし、紛失した48枚のペルシャ絨毯は、品名や登録番号さえ明らかでなく、時価相場のみが公表されています。
これらの絨毯がどこの産地のものであったのか、なぜ登録番号がないのか、その価値はどれほどなのか、なぜ紛失したのか、そして何よりもこれらの絨毯の紛失に誰が、あるいはどの機関が関与したのかを明らかにする必要があります。
この事件は、政敵を排除するための政権争いに関連していたのでしょうか?
そうならば、政権争いが終結した後は忘れ去られるのでしょうか?
国の財産たる絨毯の紛失を防ぐことができないほど汚職が蔓延しているとも伝えられますが、これはすべての政府機関を巻き込んだ汚職に関わる氷山の一角に過ぎないといいます。
カジャール朝時代に建設が始まり、モハマド・レザー・シャーの治世下に完成したサーダバードの歴史的複合施設には、人類学博物館、緑の宮殿、水の博物館、ブラザーズ・オブ・ホープ博物館、王室料理博物館、白の宮殿などがありますが、それらは施設の一部にすぎません。
前述したように、紛失したペルシャ絨毯は外国人客を迎える迎賓館の建物にありました。
サーダバードのペルシャ絨毯にはそれぞれに歴史があります。
専門家によると、サーダバードの最も重要な絨毯はアモグリの作品であり、パイルには高品質なウールが用いられ、極めて緻密な織りと複雑無比なデザインを持つことで知られています。
サーダバード宮殿で最大かつ最も価値のある絨毯は、シェイク・サフィ文様の145平方メートルにも及びアモグリの作品です。
この絨毯はサーダバード宮殿の食堂にあり、緑の宮殿の鏡の間には同じくアモグリが製作した70平米の絨毯が敷かれています。
サーダバード宮殿にある多くのペルシャ絨毯は、宮殿の様々な部屋に敷かれていますが、ここ数年でサーダバード宮殿における展示の変化に伴い、絨毯の配置も変わりました。
しかし、どの絨毯がどこに敷かれていたのかはまったく分かっていません。
ヤズド、テヘラン、アラク、ナイン、イスファハーン、ケルマーンなどで製作されたペルシャ絨毯は、博物館となっている宮殿内の様々な場所に敷かれていますが、常に盗難の危険に晒されているといいます。
イラン学生通信社(ISNA)の報道によると、ライシ政権は、前政権での絨毯の紛失を調査するため、捜査機関の協力を得て特別チームを編成しました。
紛失したペルシャ絨毯の年代、デザインなどを調査し、その時価総額を推定して報告書に纏めています。
これらの10枚の絨毯は同施設内にあるペルシャ絨毯の中では最も精巧なものであり、カジャール朝期にマシュハド、イスファハン、ツデシケ等で製作されたものといいます(マシャド絨毯はアモグリの作品です)。
この報告書には、これらの絨毯の一部の画像が、2011 年に書籍『縦糸と横糸の宝物、世界で 2番目に大きい絨毯コレクションの画像集』という書籍に掲載されていることが記されていますが、イラン国立図書館に収蔵されている書籍を検索したところ、そのタイトルは見つかりませんでした。
国立図書館はペルシャ絨毯に関する書籍を数冊しか紹介していません。
また、治安当局は48枚のペルシャ絨毯が紛失したと公表しましたが、報告書では10枚だけに言及していることも謎です。
残りの絨毯は価値がまったくなかったのでしょうか?
それともこの報告書の対象ではなかったのでしょうか?
これまでのところ、明らかになっている唯一のことは、緑の宮殿の鏡の間と食堂にあった絨毯の様式であり、これはサーダバードの別の場所にある建物から移されたものです。
これらの絨毯が持ち出されたのはサーダバード宮殿複合施設の隣にある建物です。
ホセイン・シェイク・ザイヌディンによって設計され 、1995年から1997年にかけて第8回イスラム諸国首脳会議の開催前に建設されました。
この建物は現在、各国首脳との会合や迎賓館として使用されています。
今年6月、エブラヒム・ライシの法定代理人モハマド・デガンは、ロウハニ政権高官とその息子が絨毯を盗んだと正式に発表しました。
しかし、ロウハニ大統領の元官房長官マフムード・ヴァージ氏はこれを即座に否定し、選挙のためのネガティブ・キャンペーンだと主張しました。
しかし、サーダバードの絨毯が紛失したのは事実であり、その経緯が完全に解明されるまでは追及をやめる訳にはゆかないでしょう。
公共および政府機関の文化、芸術および歴史的財産に関する規則の第6条によると、「財産の管理と保護は財産所有者の責任であり、財産所有者の会計管理は経済財政省の責任である」「財産の無償・信託譲渡及び財産の輸送」については、国の文化財機関(省)の指示と事前同意が必要となる」とあります。
180ヘクタールのサーダバード宮殿にはいくつもの建物があり、その一部は文化遺産省以外の機関が所有しています。
防犯管理が徹底されていないことは、かつて16台のLEDおよび液晶テレビを含む他の物品の紛失があったのと同様に、公共財産の盗難を誘発する原因になります。
一方、「サーダバードで失われた絨毯に歴史的価値があれば、博物館に保管されていただろう」という前政権の文化遺産大臣の主張も否定できません。
しかし、仮に絨毯に価値がなかったとしても、国の所有物である絨毯が失われることが、取るに足らないことなのでしょうか?
イランの国家オークションに関する報道によると、イランの文化財の一部が民間および政府高官の個人コレクションに流れているといいます。
例えば、第7回イラン国家オークションでは、40点の芸術作品や歴史的作品が競売にかけられ、その中にはカジャール朝期やサファヴィー朝期の貴重な作品や、ティムール朝期のコーランの写本も含まれていました。
イランの文化財の多くはファルマン・イマーム執行本部、キムテ・エムダッド、ムスタファファン財団などの機関によって独占的に所有されており、文化遺産省の職員らは、文化財の紛失、盗難には、これらの機関が関わっているといいます。
しかし、これらの機関の関与が明らかになった事例は今日まで一度も報告されていません。